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20世紀を象徴する酒
 甲類焼酎


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清酒の文明化と文化性
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酒論稿集
20世紀の酒文化
20世紀を象徴する酒 甲類焼酎
ストレートからミックスへ
−ひとつ確認したいんですが、焼酎を割って飲むスタイルが流行る以前は、ストレートかせいぜい水割りだったのですか?
後藤  ええ、そんなものだったと思います。そこに当社が宝焼酎「純」を出した。「純」の発売は、鮮烈に覚えています。昭和52年(1977年)の3月15日でした。
「純」は厳選された大麦を使っていることと新しい「純」用の蒸留機を使うこと、そして長期樽貯蔵した原酒など三種類の原酒をブレンドしているという特徴があります。高純度のアルコールと長期間寝かせた焼酎をブレンドする。それを北山杉の特殊活性炭でろ過する。どれも当時は革新的なことでした。
「純」は焼酎のイメージを根底からひっくり返したと思います。従来焼酎を飲んでいた層に加えて新しいターゲットを大きく取り込むことができたと思っています。また、小売店頭でも「純」はお客様の目を引くいい場所に並べられました。
−商品のデザインだけでなく、技術的にも大きな革新があったわけですね。
専務は初めて飲んだ時に「これは行けるぞ、会社の未来が見える商品だ」というようなインスピレーションがございましたか?
後藤  いや、すごいとは思いましたが、正直なところそこまでは……。焼酎はたいへん難しい立場にありましたし、こんな斬新なものが通用するかどうか半信半疑でした。営業の現場には保守的な雰囲気が強いですから。値段も焼酎としては高かったですしね。
−その時に、ミックスで飲むというような新しい飲み方を提案されたのですか?
後藤  その時は「純」を凍らせてトロトロにして飲むというスタイルと、純+α・ミックスして飲むというふたつの飲み方を提案しました。凍らせる飲み方は北欧にそういう飲み方があったんです。また話題づくりに、新宿の住友ビルの三角公園で北極から持ってきた氷で飲んでいただいたり、青山の東京バザールで大試飲パーティをやったりしました。
−その反響を受けて大ブレイクにつながっていくのですか?
後藤  そうですね。斬新なスタイリングと新しい飲み方ということでかなり話題になりましたが、最初の頃は年間40〜50万ケース程度だったように記憶しています。こんな素晴らしい商品だから時代にジャストミートしてもっと伸びるだろうということで、「どうしたらいいか」を、現場をよくわかっている営業マンが本社に集められて「純」会議が開かれたりもしました。
その頃、女性の社会進出とそれに伴う飲酒参加の動きが盛んになってきました。また若者の居酒屋ブーム等もあいまって、何で割っても合うという特性が女性や若者に受け入れられ、「純」を炭酸で割って飲むチューハイが注目され始めました。無理なく楽しめる軽さ、年齢層を選ばないさわやかさ、大きなグラスを傾けるダイナミックさなどいろいろな理由でチューハイが空前のブームになります。居酒屋、カフェバーなどあらゆる料飲店でチューハイは飲まれ、ついには家庭にまで浸透していきました。
このブームを定着させるために、家庭でも手軽に楽しめるものとして「タカラCANチューハイ」の発売も行いました。
−確かにあのチューハイのブームはすごかったですよね。ところで「純」のピークは何年でしたでしょうか。
後藤  チューハイブームの頂点でもある昭和60年(1985年)です。約700万ケース売れました。確かサントリー「オールド」が最高1200万ケースだと発表されていたと思いますが、「オールド」がピークになったすぐ後くらいから「純」が急激に伸び始めました。
その頃入社した社員には優秀なのがいっぱいいます。やはりヒット商品を出して、活力のあるカッコイイ会社にならんといかんと思いますね。
−焼酎のイメージを変えた「純」は、乙類焼酎のライト化の流れを決定づけたと見ることができるように思います。専務はどうご覧になっていらっしゃいますか。
後藤  本来の甲類焼酎はアルコールからの香りと甘味だけですが、さっき申し上げましたように「純」には味のある原酒を使っています。それで凍らせて飲んでも、ストレートで飲んでも十分においしいと感じられる。
一方、クセの強かった乙類焼酎はマイルドになり、ライト化していきました。そうでなければ都会では受け入れられなかったでしょう。甲類焼酎が乙化して、乙類焼酎が甲化していると言うことができると思います。両方が近づいています。
そういう意味では「純」の成功が、乙類が都会的に洗練されたものに変わることを促したと言えるでしょうね。このところまた、クセのある乙類焼酎が見直されているそうですが、昔に戻ったのではなくソフィスティケートされた味になって評価されていると見ています。
−ところで御社は「ABCDS(アベセデス)マトリクス」という21世紀の酒の未来図を発表されました。そこで低アルコール化を大きなトレンドとして捉えて、「S化」とおっしゃっていますね。「低アルコール化」ではなくて「S化」としたのはどのようなお考えからですか?
後藤  時代の大きな流れとして酒の低アルコール化というのがありますが、この現象はもっと広くソフト化と言ったほうがいいと思うからです。低アルコール化は酒が清涼飲料水感覚で飲まれるということであり、誰でもどこでも飲めるということです。だから身体に優しい、女性に優しい、簡便であるなどの特徴が求められる。缶入りの酒が拡大するのもそのひとつ。それをソフトパワーと言うことにしました。
−焼酎で「S化」を象徴するのはミックスという飲み方であり、CANチューハイという商品になりそうですが、私はチューハイが缶に入ってから低アルコールという属性が固まったように思います。昔、居酒屋でしか飲まれていなかった頃、初期のチューハイはアルコールがきつい酒だった印象があります。
それから「ABCDSマトリクス」では「D化」ということを言っておられますね。独自の風土や伝統に培われた高い情報発信性をもつ酒がグローバル化していくと。焼酎がそうしたポジションを獲得していくには、どのようなことが必要だとお考えですか?
後藤  焼酎を世界に広めていきたいし、焼酎はそれができるだけの高い情報性をもっています。そのひとつがブレンデッドという視点です。3500年前、メソポタミアに端を発した蒸留技術はアジア経由(東回り)と西欧経由(西回り)で日本に到達して、そして貯蔵技術とかブレンド技術が駆使されて焼酎という酒ができた。こうした物語性は人々に感動を与えます。まもなく焼酎の甲乙の税率も同じになりますし、焼酎が国際化する下地ができつつある。
今、当社は甲類焼酎で31%前後のシェアがあります。最高に行ったときで37〜8%でした。焼酎のパイオニアカンパニーという自負がありますから、甲乙も含めて焼酎全体をリードしていきたい。そして、ジンやウオッカに匹敵するグローバル性をもたせたいと思います。

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