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過去記事一覧

清酒の量産と品質

近代酒類流通の
  源流をたどる


京都老舗酒販店の
  明治・大正・昭和


東京下町の小売酒屋
 激動の昭和史


酒販免許前夜
 浪速の酒屋


食の洋風化と
  ワインの和風化


20世紀を象徴する酒
 甲類焼酎


ウイスキーの日本化は
  いかに進められたか


ビールこそが
  「20世紀の日本の酒」


自由度の高さと
  風土性の豊かさ
  −乙類焼酎の100年


宮廷の酒・国家の酒・
  大衆の酒−泡盛の100年


清酒の文明化と文化性
  の再構築


酒論稿集
20世紀の酒文化
免許制度以前の大阪小売酒屋
酒類流通を対象とした「20世紀の酒文化」新シリーズ三回目は、免許制となる以前の酒販業を取り上げる。大阪で大正末期から酒屋を営んでこられた糀矢貞治郎氏に、当時の小売酒屋の商売の様子や戦時下での企業整備などについて述懐していただいた。

酒類流通が免許制となったのは、いまから60年以上も前の昭和12年(1938年)のこと。それ以前はすでに江戸期に中間流通が確立していた東京を例外として、酒類の製造・卸・小売りの機能は未分化であった。大不況に陥っていた昭和初期の日本で酒類は生産過剰となり、一方で大量の失業者が酒販業界に流れ込んだ。製販入り乱れての熾烈な販売競争が繰り広げられ、ともにおおいに疲弊した。当時、大阪には4000もの酒販業者があり、毎年約5%ずつ増加していたが、新規参入と廃業で二割近くが入れ替わったことからも、その激しさがうかがわれる。
こうした悲惨な状態を脱するために酒類免許制実現運動が巻き起こる。中心地となったのは大阪であり、運動推進の理論は村井与三郎が提唱した「酒類業三層分野確立論」であった。これは、「生産者は生産に、卸業者は卸売りに、小売業者は小売りに専念し、それぞれの営業分野を侵さない」というもので、そのために酒類流通にも免許制を実施すべきだとする。そして、10年以上の強い運動が実り酒販免許制度が実現する。この経緯はすでにまとめた(本誌1996年4月号)。
では、当時の小売酒屋の商売とはどのようなものであったのであろうか。清酒やビールなどメーカーの商標で売られる瓶詰め商品が普及しつつあったとはいえ、樽から量り売りされる酒がほとんどであった。製造技術も未熟であったため流通途中での変質も少なくなかったはずだ。当時の様子を糀矢貞治郎氏のお話から振り返ってみよう。

小売酒屋が火入れした
−社長が創業者でいらっしゃいますか?
糀矢  いや、先代がおります。私がこの店に入ったのは昭和8年か9年頃。叔父がやっていた酒屋に行って、こっちの店が開くようになったので、叔父から野田の店に行ってやれ、と言われてここに来ました。
−叔父さんが何軒か店をもって手広く商売をなさっていらした?
糀矢  していました。本店はしっかりしていましたけれど、支店を出したのがみなあかんのでね。この店だけは私に行けと言われて。その時に組合で貰った看板がこれです。酒類販売免許証と書いてあります。もう、こんなん持ってる人、酒屋にようけおまへんわ。
−そうですね。よく残ってましたねえ。
糀矢  これは、私に酒販の許可が下りた時の印ですわ。この時は阿弥陀池に大阪の組合の本部がありまして、そこに行って申請して貰いました。
−本店のほうでご商売の修行というか手伝いをされたのは?
糀矢  昭和のかかりです。大正14年頃です。
−その時おいくつだったんですか?
糀矢  明治43年生まれ。1910年1月19日ですから15歳くらい。途中で召集を受けて、三年南方方面に行きました。
−当時は、酒はほとんど清酒ですか?
糀矢  そうです。ビールなんてね、なかなか売れなかったですよ。ビールはその頃(大正のはじめ頃)、薬屋が売っていたようです。それが、サクラみたいのを使って酒屋に薦めに行って、まあ置いてみてくれと言って、またサクラが買いに行きますねん。こんなもんが売れるんやなあ、と。その時分ビール20ケース売ったら、あんた、キリンビールは横浜へ招待してくれた。
−いまでは考えられませんね。清酒は樽から量り売りですか?
糀矢  そうです量り売り。蔵元から桶買いするんです。こっちから樽を送って、詰め口に行ってそれを持って帰ってくる。造り酒屋から買うのは原酒ですわな。50丁、70丁って買うんです。原酒だから20度からある。そんな酒売ったら、濃すぎてダメやから適当に割って、度数を下げました。
夏になると濁ってくるでしょう。私のところは「火入れ」といって適当な酒を15度ぐらいに薄めて一升瓶に入れて火入れをしました。まだその時分は蓋はコルクのツメです。王冠を針金を曲げたようなもので、上に陶器にコルクのついたのがありました。ろ過器でゴミを取って漉して、一升瓶や五合瓶や二合瓶や一合瓶にまで詰めて。2月頃やったら30度くらい。3月やったら35度くらい。それを箱風呂みたいなとこへ入れて下から火炊いて、その度数になるまでやってると瓶がピーンと割れますねん。そしたら風呂の中に酒が……。その風呂によう入りましたわ(笑)。それから賢こくなって割れても酒が拾らえるように筒の缶をこさえて、その中に入れてしました。うちは銅の四角い箱風呂を、いまでも倉庫にのけてますわ。
−おでん屋さんにあるような銅張りの。あれの深い……?
糀矢  ええ、大きいのんです。一升瓶が20何本入りました。

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