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清酒の文明化と文化性
  の再構築


酒論稿集
20世紀の酒文化
清酒の文明化と文化性の再構築
技術者との出会いと「防腐剤ナシ」の発売
−この世紀に、腐造が多くたいへんリスキーだった清酒造りが安定したものに変わり、産業化していきました。
栗山 本当に安定したと確信がもてたのは今世紀後半の昭和44年からでしょうね。
−と言うのは?
栗山 業界としてサリチル酸の全廃を達成できたからです。この時は、マスコミや世論のはげしい声に呼応して全国の蔵元が防腐剤の使用を止めたのです。
しかし、当社はそれより60年も前の、明治44年、今世紀前半に「防腐剤ナシ」の商品を本格的に売り出しています。これは非常な冒険でした。その頃はまだ業界全体の技術レベルも上がっていない。それをあえて発売にふみ切ったのは、「お客さんが安心して飲める酒でなければならない」という、今でいう消費者志向の信念がすでにあったからだといえるでしょう。
サリチル酸による防腐については、明治12年頃、東大に御雇教師として来ていたコルシェルトとアトキンソンとが論争、未解決のまま、サリチル酸を使えというコルシェルトの説を政府が採用、日本酒の防腐剤として使い始めました。その後、明治36年、内務省は飲食物へのサリチル酸使用を禁止したんですが、酒への使用だけは業界の強い要望もあって、大正3年以来、無期延期にされたままだったのです。
−「防腐剤ナシ」に踏み切る拠り所は、火入れをしっかりやればサリチル酸は不要というアトキンソンの説だったのでしょうか。
栗山 それもあるでしょうが、明治40年以来、新進気鋭の大蔵省醸造試験所の鹿又技官との交流が大きかったのではと思います。鹿又技官が当社にひと冬滞在していろいろと実験するのを、11代・大倉恒吉は横で見ていました。当時、まだ珍しかった顕微鏡を使う。また、シャレーの蓋をはずして、しばらく置いておくと、シャレーには黴やら細菌やらいっぱいはえてくる。それらが全部蒸し米や醪の上に落ちてくるということを知って、恒吉は大きなショックを受けたのだと思います。これを契機に、東大から技師を招聘、研究所を設立、二年後には「防腐剤ナシの酒」を発売する。
しかし、「防腐剤ナシ」の出荷では、ずいぶんと失敗もしています。東京に着いたらほとんど腐っていたケースさえあったという。当時、火落菌というのは何千種もあるということは学会でもまだわかっていませんでした。私が業界に入った50年前でさえ、学会での研究発表も、研究者それぞれが違う菌でやっていました。だから、殺菌温度60度、5分でよいというのも、たまたまその研究に使った菌がその条件で死んだだけの話。さすがその頃になったら「先生の使ってるのはどんな菌か」くらいは質問がありましたが、当時はまだスライドがないから「黒板に絵を描きます」という程度(笑)。後に、乳酸菌研究の大家・北原覚雄先生が膨大な数の火落菌を分類されて、それぞれに属する菌がわかり、その対策も系統的にできるようになっていった。
それから10年ほど経って、昭和36年、サリチル酸を飲食物に使っては駄目だというWHOの勧告もでてきた。ついで昭和44年のチクロ騒ぎの時に、マスコミが清酒のサリチル酸も取り上げてしまったから、さあ、たいへんなことになった。

酒は腐らないものという新常識
−醸造試験所はそれまで「サリチル酸ナシ」の技術指導はやっていなかったんですか。
栗山 試験所開設以来、「火落ち」については、随分とその研究をつみ重ねてきたのですが、防腐剤を全くナシにするような指導はやってこなかったようです。しかし、私共はこうした世間の動きを見、同時に、杜氏たちの科学に対する認識が進んでいるのを知って、「もう全国の酒もサリチル酸ナシにせなあかん。今ならやれるかもしれない」と思ったのです。
日本酒造組合中央会としても自主規制しようということになった。しかし、いざやるとなると、たいへんなことでした。私共が明治44年以来、苦労し開発し蓄積してきた「サリチル酸ナシ」の工程管理について、そのノウハウを業界のために公開せねばなりません。まず、詳細なマニュアルを作成、一番大事な菌学的清浄さからホースの洗い方まで、徹底的に細かいことを指示しました。これを、税務署と鑑定官を通じて全国の酒造メーカーに通達したのです。その結果、私共の心配をよそにまったく火落ち事故は起こらなかった。これには私共も驚いた。明治以後、大蔵流を全国に押しつけたと言って醸造試験所の指導がいろいろと批判されたこともあったようですが、そのおかげで杜氏さんの科学的知識が大幅にレベルアップしていったのです。この下地がなかったら、全国の酒を一斉に「サリチル酸ナシ」にはできなかった。これは、20世紀に成功した大きなできごとの一つだと思っています。
−「科学の世紀」という、そのものですね。
栗山 この成功の背景には、もう一つ要因があったのです。当時すでに、全国どこの酒屋もタンクをはじめ、すべての道具が木製から金属やプラスチックに変わっていたことですよ。もしも木桶などが残っていたら、いくら洗っても完全殺菌はできないから、こうした試みも成功しなかったはずです。ちょうどよいタイミングだったと思いますね。私なんか、子供の頃は酒は腐るもんだとおじいさんやお袋から聞いていました。それがこの1世紀で、酒が腐るという概念がすっかり無くなった。このように安全に流通でき、安心して飲める商品になったということは、今世紀の日本酒業界最大の進歩だといえるでしょう。

元詰め商品が流通を変えた
栗山 今世紀、もうひとつ大きな変革は、明治44年、当社が「防腐剤ナシ」を発売した時、殺菌の必要から四斗樽から瓶詰めに変えたことでしょう。これによって流通体系がガラリと変わった。それまでは流通業者が樽から通い徳利に量り売りしていた。酒も味噌も醤油も小売屋さんが、お客さんに合わせて混ぜたりして、量り売りしていた。それを元詰めにしたのですから、ベテランの流通業者さんにはたいへん失礼なことでした。しかし、このおかげで「防腐剤ナシの酒」を直接、消費者に届けるシステムを造ることができたのです
今はまた、私共の業界は規制緩和などによって、かつてない激変にぶつかっています。長期にわたる需要の低迷、三年後に迫った免許制度の自由化、熾烈化する他酒類との競争、急速な情報化の進展など、こうした事態に際して、柔軟に、しかもスピーディに対応していかねばなりません。
常に新しい目標に向かってチャレンジしてゆく姿勢を続けてゆく限り、私共日本の酒も、21世紀への道は明るくひらけるものと信じています。

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