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過去記事一覧

清酒の量産と品質

近代酒類流通の
  源流をたどる


京都老舗酒販店の
  明治・大正・昭和


東京下町の小売酒屋
 激動の昭和史


酒販免許前夜
 浪速の酒屋


食の洋風化と
  ワインの和風化


20世紀を象徴する酒
 甲類焼酎


ウイスキーの日本化は
  いかに進められたか


ビールこそが
  「20世紀の日本の酒」


自由度の高さと
  風土性の豊かさ
  −乙類焼酎の100年


宮廷の酒・国家の酒・
  大衆の酒−泡盛の100年


清酒の文明化と文化性
  の再構築


酒論稿集
20世紀の酒文化
東京下町の小売酒屋-激動期のゼロからの出発
統制解除とともに酒屋へ
−戦前の小売酒屋は酒のほかにも最寄り品をいろいろ扱う万屋だったのでしょうか。
黒澤  食品はたいてい置いていました。醤油とか味噌とか缶詰とかです。魚や野菜はやる人は少なかったですね。酒屋は商品の見切りができないですから、生鮮をやっても失敗する人が多かったです。難しいですよ生鮮は。
−ご主人は酒屋を継ぐ前にどこかで修行されたんですか。
黒澤  酒屋の修行はしてないです。昭和15年から20年まで徴用で工場に行かされて、まったく酒屋とは関係のない仕事をしていました。兵隊にも行きまして、戦争が終わって酒の小売りが自由にできるようになったんで、酒屋を本格的に手伝い始めたんです。
息子のセブンイレブンがある場所で親父が商売するのを手伝って、免許がここでもとれるというので独立して店を構えたんです。100mも離れていないところに自分の店を出したんだから、親父の店と自分の店と両方やったようなもんです。もっと遠くの別の場所に店を出すことも考えないではありませんでしたが、そこまで踏み切れませんでした。
−ということは、ご商売はご両親から教わったんですね。
黒澤  そういうことになりますね。

昭和30年代までは現金売り
−ご主人が店をやるようになった時には、商品はもう瓶詰めに変わっていましたか。
黒澤  ぜんぶ瓶でした。自分でやり始めてからは樽から量り売りした記憶はありません。酒だけじゃなく醤油も味噌も量った覚えはないです。
−冷蔵庫を入れたのはいつ頃。
黒澤  そうですねえ、昭和30年より少し前くらいですかねえ。最初は氷を買ってきて冷す冷蔵庫を使っていました。そのあとすぐに電気のに変えたと思います。新品はとても買えなくて、たしか進駐軍の払い下げのを買ったんです。
−その頃はだいぶ社会も安定してきて、掛け売りもするようになっていたんでしょうか。
黒澤  昭和30年頃には、掛け売りもありましたね。それまでは現金じゃなきゃ恐くて売れなかったですよ。みんなぼろぼろだったんですから。店売りが多かったのもそのせいです。配達でまとめて買えるようなお客さんがいなかったから。配達が増えたのは安定してからですね。
−配達が増えてきてからは御用聞きもされたんですか。
黒澤  いいお得意先だけですね。せいぜい20軒か30軒だけです。
−タバコを取り扱うようになったのはいつ頃?
黒澤  昭和30年代の後半だったと思います。塩はもっと早いです。

昭和40年代は酒屋の絶頂期
−これまでのご商売を振り返ってみて、小売酒屋の商売が変わったと思うのは、いつ頃、どんなふうにですか。
黒澤  昭和40年代までは酒屋はよかったですね。酒はあれば売れました。この辺りは戦後住民がどんどん増えましたし、手堅い商売をしていれば倒産する酒屋はありませんでした。倒産するのは、ほかのことで潰れましたね。株とか土地に手を出して失敗したとかです。酒屋を堅実にやっていればまず倒産することはなかったですし、ちゃんと利益がとれました。メーカーや問屋さんも余裕がありましたから、年がら年中招待旅行で熱海だ鬼怒川だとずいぶん行きました。
−そういう話はよく聞きます。オイルショックの前までは、ほんとうに順調だったんですね。
黒澤  その後、店を改装して、広屋がやっているヒロマルチェーンというコンビニ風の酒屋のチェーンに参加しました。ちょうど20年前です。リーチインクーラーもオープンクーラーもその時に入れました。
−オープンクーラーもその時ですか。ずいぶん早かったですね。レイアウトもいまでも古さを感じさせないですね。レジを前にもってきてお客様が店の人と目線を合わせずに入れるようになっていますし、壁面の棚を主にしてゴンドラは売場の中央に一列だけ置いて、店のなかをぐるりと回れるようにしてある。使いやすそうです。
黒澤  ええ。当時の最先端と言ったら言い過ぎですかね。使いやすい売場です。それも息子が今度セブンイレブンを始めたので、抜けました。ヒロマルチェーンの看板も昨日外しました。
−ご主人がセブンイレブンの売場にも立つんですか。
黒澤  私はやりません。とてもついていけません。機械がぜんぜんわかりませんもの。もう79歳ですからコンビニは息子に任せて、こっちの店だけやります。
−とても79歳には見えませんね。10歳はお若く見えます。
黒澤  組合の支部長も歳だから辞めさせてくれと、前から言っているんですが、なかなかなり手がなくてここまできちゃいました。今度ようやく終わります。
−組合の支部長をされていらっしゃるんですか。この10年は調整がたいへんでしたでしょうね。
黒澤  ディスカウントとかいろいろ出ましたからね。コンビニにもスーパーにもどんどん免許が増えましたし。
−最近、酒の小売りを免許されたところには組合に入らない方も多いと聞きますが。
黒澤  そういう方も中にはね、いらっしゃいます。ですが、逆に前からの酒屋が嫌って組合に入れないみたいな場合もあって、なかなか難しいです。

2001年5月8日
きき手/山田聡昭(酒文化研究所)

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