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過去記事一覧

清酒の量産と品質

近代酒類流通の
  源流をたどる


京都老舗酒販店の
  明治・大正・昭和


東京下町の小売酒屋
 激動の昭和史


酒販免許前夜
 浪速の酒屋


食の洋風化と
  ワインの和風化


20世紀を象徴する酒
 甲類焼酎


ウイスキーの日本化は
  いかに進められたか


ビールこそが
  「20世紀の日本の酒」


自由度の高さと
  風土性の豊かさ
  −乙類焼酎の100年


宮廷の酒・国家の酒・
  大衆の酒−泡盛の100年


清酒の文明化と文化性
  の再構築


酒論稿集
美の川 新潟
酒所越後での顧客満足を追求した挑戦


京都の町屋での商い
−社長がご商売に直接携わるようになったのは、いつ頃ですか?
前川  それは、私が兵隊へ行って帰ってきてからですよ。
−そのときはもう卸はやめて?
夫人  やめて、小売屋で。
−卸は、どうしてやめられたんですか?
夫人  戦時中、若い人はみな徴用やら兵隊に取られて、卸はだんだん商売する人がなくな
ってしもてね。そんなんで、これはいつまでもこんなんしてられんちゅうのでね、卸から小売りに変えたんです。うちは古いのは古いんです。こんな写真も、昭和二年の一〇月一八日、柴政商店の招待でね、鞆ノ浦とものうらに行かはったとき。
前川  酒は「月桂冠」や。
夫人  「月桂冠」をよう使うとこだけを、その柴政いう問屋さんがまとめて。昔はこんなんで、招待がずっとあったんです。酒の卸であっちやら、こっちやらで招待でね。(写真に)女の人も写っている。この頃に酒屋は女も外へ出ていたんですね。こっちが、ほんまの昔の、わたしとこの家ですわ。(下の写真)昔はそういう建て方でね。蔵がありましたしね。蔵のなかに入れとくと、年中温度が変わらんから、お酒がどうもないんです。せやさかいに、ええお酒はみな蔵に。蔵のなかに梯子をかけて、二階もありましたしね。扉の厚みがものすごい。骨董が仰山入れてあったから(笑)。
前川  ええもんあらへん。
夫人  片付けてそのままになってしもて、まだ出してしませんねん。もう宿替えするときにパッキングに入れたまま、倉庫に入ったままですねん。もう、いまはあるもんだけ、ちょっちょっとあるもんだけ飾ってるけどね。うちのお祖父さんは骨董品が好きでね。ええもん買うとかはりました。そやさかいに、いま見たらええなというもんが(笑)。
前川  (部屋に掛かっている書を指して)これは関雪。橋本関雪書いてます。
夫人  離れがあってね。中庭があって、いまの室町の古い家と変わりないね、京都は。本家があって、中庭があって、また奥に庭がある。ほで、蔵があってね。全部で一〇〇坪ですからね。
−建て替えるときには涙が出たでしょう?
夫人  そらあ、住んだ家が潰れるの見せたら具合悪ならはったらかなわんさかいにゆうて、一カ月前に山科に家借りて、二人で行ってました(笑)。ほで、建ったら帰っておいでなはれてゆうて。そら、そこで育って、大きなって、商売して、そいで潰れていくのを見るのはね。悪うて潰すんやなしに、ビルにするのに潰さはるいうても。
そやけど、昔の家の夢がフッと出てくるときがありますものね。わたしら、ここに片付いてから、来年で六〇年になります(笑)。ちょうど来るときは、空襲で荷物が出るか、出えへんかちゅう最中でしたからね。

反対を押し切り味噌・醤油などへ進出
−卸をやめて、しばらくは配給所のようになっていたということでしょうか。
夫人  そうです。醤油、味噌、お酒も量って、みんな券を持って来はって、その券を切ってそのぶんを渡したんです。
−戦争が終わって、配給が二二、三年まで続いたんですかね。その後、自由に。
夫人  自由になりました。
−戦後、商売を始められて、自由になってからも、一からやり直しみたいなものですよね。戦前からのお得意先がそのまま帰ってきてくださる方もいらっしゃいましたか?
夫人  まあ、それもありましたけれどね。戦時中でも、この人困ってはるな、可哀想に思ったら自分とこのぶんを始末してでも、ちょっと盛りをようしてあげたり、お醤油でもちょっと仰山目に入れてあげたりしたりしてね。
そのときにしてもろたという恩から、戦争終わってもやっぱり買いに来てくれはりましたね。値段もよそさんは高こうとらはったりするけど、うちらは決まった値よか、貰らわしませんしね。まあ、そんなお蔭で、わりに得意先が逃げるちゅうことはなかったですね。
−戦後は量り売りは?
夫人  ほとんどなかったです。ビン詰めでね。味噌もちゃんと、何グラムていうて袋に入ってね。
前川  父のときは、醤油も味噌も置かんと、私らの世帯になってから、味噌、醤油、塩を置いた。父は置かんといてくれ、て言わはったけれど……。
夫人  店が汚のうなるから嫌や、匂いがお酒に移るてゆうて。それほど匂いに厳しい。
前川  言わはったけど、もう時代がちゃうねんから、何でも置かなあかんゆうて、私はごり押しで置いた。そしたら、売れた。それから醤油も大きくして。父はあんまりさわっとらん。
夫人  お酒だけに生きてきはった人。
−卸と小売りとやってらしたんですよね。
前川  ええ。最初は卸の免許もいらんかった。あとで同業組合。卸組合。最後は卸もあかんようになった。統制のあとで京都酒販、現在の酒類販売株式会社に変わってしまった。それまでは、同業組合。それに入らな酒屋できへん。おかしな時代だ。でも父は死んでしまうし、なんとか店を死守せんならんと思って、一生懸命になりました。頑張ってやってきて、その結果が現在の状態。
夫人  兄弟が兄さんと二人だけですねん。お父さんが亡くなりはって、三年目にお母さんが亡くなりはって、そやから早ように両親が死んでね。

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