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過去記事一覧

清酒の量産と品質

近代酒類流通の
  源流をたどる


京都老舗酒販店の
  明治・大正・昭和


東京下町の小売酒屋
 激動の昭和史


酒販免許前夜
 浪速の酒屋


食の洋風化と
  ワインの和風化


20世紀を象徴する酒
 甲類焼酎


ウイスキーの日本化は
  いかに進められたか


ビールこそが
  「20世紀の日本の酒」


自由度の高さと
  風土性の豊かさ
  −乙類焼酎の100年


宮廷の酒・国家の酒・
  大衆の酒−泡盛の100年


清酒の文明化と文化性
  の再構築


酒論稿集
美の川 新潟
酒所越後での顧客満足を追求した挑戦

酒販店の御内儀さんの暮らし
前川  そやから、家内に言いに行っても来てくれしませんねん。この家は兄さんの家や、あんたは弟やとゆうて。私が盗るみたいに思われるさかい、来るの嫌やゆうてました。
夫人  その時分でも、だいたい親の財産は長男に全部行った時代でしたからね。兄さんは外で文房具の商売してはったけれど、結局お父さん亡くなったら兄さんのものになるから、そんなとこへは妹はやれんて兄が頑張って。
ほな、この家は芳三のもんにするて、お父さんはちゃんとしときはった。ほんで、そんなら貰うてもらうゆうて私が来ました。
−奥さんは出身はどちらですか?
前川  京都です。
−商売に関係してらした?
夫人  いえいえ。私は西陣で、私の来るときは糸屋でした。最後は京都呉服というて、呉服屋やって、もうやめはってから三〇年くらい経ちます。いまは何もしてはらしませんけれどね。
−酒屋に嫁ついで来られて、どうでした?
夫人  酒屋さんで、楽してたらええのやと思てたのに、ビン洗いからみんなしましたからね。いまの人はようしはらしませんけれどね。返ってきたビンを洗ろて、それを棚に置いて乾かして、また詰めるものは詰めたりしてね。
女が忙しい商売です。男の人は配達しはったらしまいです。あとの、家のなかの用事はみな女がせないかんからねえ。えらいとこ来たなあて(笑)。
家におるときは、男の用事てそんなにあらしませんやん。女は店番はせないかんわ、店売りはせんならんわ、家のなかの用事はみなせないかん。いまだに、酒屋の奥さんは忙しいと思いますよ。店でも、買いに来てビール一箱て言わはったら、持たんなりませんやん。
重労働ですよ(笑)。
−重たいものなあ。
夫人  空でも重たいんですもの。昔はもっと入ってたんでっせ。本数が……。ビールでも二四本入ってた。いまは二〇本でっしゃろ。
昔は、お酒が一〇本でした。いま六本でっしゃろ。それだけでも違います。


焼酎、ビール、そして地酒
前川  昔はね。父のときはサクラビールてありましたやろ? アサヒビール、サクラビール、キリンビール。サクラビールというのが売ってた。まだ、タカラてあらへんし、サントリーもあらへんわね。けど昔はビールて売れしまへん。みなお酒ですから。あと焼酎ね。
−焼酎は、昔はどうやって飲んでいたんですか?
夫人  昔はそのまま、原酒で飲んでた。そうか、濃いかったらちょっと薄めるとかねえ。
前川  いまいろいろ出けてるけどねえ。泡盛やなんやらあるけど、昔は焼酎はそれだけでしたから。柳蔭て。それを飲んでました。お酒飲まなかったら、焼酎飲んでました。あの時分から見たら、グラッと変わってまんな。
伏見や灘の酒はなくてもさして困らへんようになって、新潟とか東北とかの酒がよう売れる。いまはわしの晩酌も新潟の酒。腰のあるええ酒や。長生きしたからこんなんも飲めるようになった。ありがたいことや。
夫人  私らは物のありがたみちゅうのを十分にわかってるはずなんやけれど、物がダーッと出てしまうとついつい忘れますけれどね、しんどい当時の生活をしてたらそらあ、すごいお金溜まるやろな(笑)と思いまっせ。着るもんひとつでも売ってないから、自分で子供につくってやらなならん。でけへん裁縫でもできるようになるしね。自分でせんと着せてやれへんしね。
いまはあんまり、贅沢しすぎてるさかいに、この不景気が続いても悪くはないなあ、と私ら思いますわ。いまの若い人にはええ見せしめやと思いますね。あの時分はお金持ちも貧乏も、一緒の気持ちで、国が大事やちゅうので一生懸命でしたからね。みんなが同じ気持ちにならな、バラバラではやっぱしうまいこと行きません。こういう時代が来て、いまの若い人が締まって、かえってよいのかもわからんなと、そんな思いますけれど。
− たしかに、景気が悪いといっても生活にほんとうに困っている方はそう多くありませんしね、物はあふれて好き放題やっても許される風潮は強いですね。
ところで、戦前はドブロクをお取り扱いになっていらっしゃいましたか?
前川  うちはやらんかった。あれは密造が多かった。しょっちゅう税務署が来て、そのときはやめるけれど、またすぐね。酒がないときやったから。
夫人  なんや、がちゃがちゃしてる間に、もう一〇年、二〇年過ぎてしもてね。どんな時代やったか思い出せんように(笑)。

祇園の高級店 冬の時代
前川  阪神野田の梶本という問屋に、よう行った。お父さんの頃から付き合いがあった。
奥さんに気に入られて、お酒くれはんのん。
銘酒ばっかりで、いまの「白鶴」とか「富久娘」とかええもんばっかり。それを梱包して、送ってくれはる。酒がなかったときやからありがたかったでっせ。かと思えば悪い問屋もあった。うちは実績で買っているのに、売れる酒に、抱き合わせで売れもせん酒をくっつけてくる。若かったから、そんな商売するんかと怒鳴り込んだこともあった。
夫人  昔はお酒も一級、二級とあったけれど、いまは級がないから売りにくいね。私らわからんわ。
−料飲店との取引は、戦前からあったんですか?
夫人  そうです。ずっとね。私とこはだいたい人がよすぎるさかいに、仰山倒されてますわ。そやけど、まあ倒されても、取引先の問屋さんにはご迷惑をかけんと、やってこられただけでも結構やなと思てます。そらね、集金に行ったら、夜逃げしていいひんというのが昔は仰山ありましたさかいにね。泣き寝入りのも仰山ありましたわ。
−結構、業務用のお得意先も?
夫人  業務用も行ってましたしね。家庭と半々くらいですか。前に卸をしていた関係で、近くの酒屋さんが行っている飲み屋さんに行くのはちょっと遠慮があって、滋賀のほうとかにも得意先をつくりました。
いまはもう家庭はほとんど行ってはらへんけど。業務用もこの頃祇園も火が消えたみたいになって。もう、あんまり高級なとこは、だんだんあかんようになりましたね。結局、赤ちょうちんのああいうとこが、いまはね。
−自分の小遣いで飲めるところですよね。
夫人  そうそう。ちょっと家に帰るまでの、ちょっと間ね。ちょっと一杯だけ、というのがいいのと違いますか? ビール一杯。コーヒー代わり(笑)。

五代目の帰郷を待つ老舗
−組合の役員も、長くやっていらしたそうですね。
夫人  そうですね。理事長何年やってた?
前川  二期六年。
−いつ頃ですか?
夫人  理事長は、いまから十何年前やな。
前川  わしが五七歳のとき。理事長になって、六年や。もう一回やったら九年。体がもうとってももちませんわ。もう一期というのをごり押しで止めた。
夫人  ちょうどあのとき、いちばん、免許が下りるたら下りんたらのときね。
−ディスカウントの出がけのときですね。
前川  まいってしまいましたわ。口では六年ていうけれど、えらいで。
−商売やってりゃ稼ぎになるものを、時間を割いて役をやるんですものね。
夫人  いまはもう、どっこも出はらしません。
お医者さんのお薬を貰うだけです。歩きも、しはらへんね。これが好きやから、晩酌。
−お店のほうは、任せっきりで。
夫人  はい。わたしはなかのみんなの食べ物をお料理してます。なんなとせんと、ボケるしね。買い物に行って、みんなに食べさして、後始末をして。家のなかの用事は、私が元気な間はさしてもろてます。
−それで、若奥さんもずいぶん楽なんじゃないですか?
夫人  そうです。両方やったらしんどいです(笑)。あの人も若いけどようやってくれはりますさかいに。また孫がみんなええ孫でね。
下がいま新潟行ってます。あれが帰ってきたら、私とこでは、五代目になるわけです。
−楽しみですね。

二〇〇一年七月九日・前川芳三様宅
きき手/山田聡昭(酒文化研究所)

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