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過去記事一覧

清酒の量産と品質

近代酒類流通の
  源流をたどる


京都老舗酒販店の
  明治・大正・昭和


東京下町の小売酒屋
 激動の昭和史


酒販免許前夜
 浪速の酒屋


食の洋風化と
  ワインの和風化


20世紀を象徴する酒
 甲類焼酎


ウイスキーの日本化は
  いかに進められたか


ビールこそが
  「20世紀の日本の酒」


自由度の高さと
  風土性の豊かさ
  −乙類焼酎の100年


宮廷の酒・国家の酒・
  大衆の酒−泡盛の100年


清酒の文明化と文化性
  の再構築


酒論稿集
20世紀の酒文化
食の洋風化とワインの和風化
「20世紀の酒文化」研究の一環として行ってきた、各酒類を代表するメーカーへのインタビューの七回目はワイン。今回は、日本のワインメーカーの草分けであるメルシャン株式会社の小阪田嘉昭氏(同社理事・ワイン技術部長)を迎え、日本におけるワインの歴史と同社のワイン造りへの長い挑戦の足跡を語っていただいた。

−日本のワイン造りは明治以降にスタートしたものですが、初期のワイン造りが目指した価値、あるいは品質について、どのようにお考えですか。
小阪田  日本酒は主食である米から造りますが、もしお酒をブドウから造るとしたら米が助かる。当時は今のように米余り現象はないですから、これは非常に重要なことです。そんなことでおそらく、ブドウからお酒を造ろうという気運が盛り上がったんだと思います。そして、東京三田の薩摩屋敷跡に育種場を開設したとか、北海道開拓使や兵庫県の播州葡萄園とか官営のブドウ試験場が開設される。
そういう中で、まえまえから食べるブドウの産地だった山梨県に中央の政府が目をつけた。明治6年(1873年)、初代の山梨県令として赴任したのが藤村紫朗。この殖産興業政策の実践者としても有名な藤村が県令として赴任した後、明治10年(1877年)頃、山梨県が甲府城祉にワイン造りの試験場のようなものを作ったようです。
それを民間でも作らせようということで、明治10年(1877年)に現在の勝沼町の豪農たちに呼びかけてワイン会社を作らせました。それが日本で最初のワイン会社「大日本山梨葡萄酒会社」です。それをメルシャンが引き継いでいますから、メルシャンの歴史は日本のワイン造りの歴史だと思ってます。

国産技術を救った甘味ブドウ酒
小阪田  目指した品質はおそらく、ヨーロッパにあるようなスタイルのものでしょう。
−ヨーロッパにあるようなスタイルというのは、スティルワインですか?
小阪田  もちろんスティルワインで、あとから話のでる甘味ブドウ酒にいきなりいくのではなく、今われわれがテーブルワインと呼んでいるものだったんだろうと思います。
ワインの普及ということで言えば、当時の日本人が食べていたものとはワインは当然合わない。洋風の食生活がごくごく限られたものでしかなかったために、ワインはほとんど受け入れられなかったんだろうと思う。
もうひとつ、造りについても苦労をしたようです。ワインは、ブドウを潰して置いておけばすぐできる簡単なものですが、一方傷みやすい。特に、当時の木製の樽とか桶でいったん傷みますと微生物が繁殖します。それを完全に殺菌してやらないと、次にまた同じものが出てくる。そういうことのくり返しで、酸敗ということがおこって、品質的にもなかなか苦労したと聞いています。
明治19年(1886年)に残念ながらこの会社は解散してしまうけれど、宮崎光太郎が引き継ぎ、別のところに醸造場「甲斐産葡萄酒」を作った。新たに醸造場を作ったので、酢酸菌などの悪い癖がついていた樽を使わないで済んだということが品質の改良につながりました。
一方、その当時から混成洋酒と言いますか、いろいろなものをまぜて造る模造洋酒が造られていました。ブドウ酒も例外ではなく、海外から持ってきたブドウ酒に、あとで甘味や香りをつけたり、アルコールを足して日本の甘味ブドウ酒というのが造られた。宮崎光太郎は自分たちでワインを造ってましたので、その国産ブドウ酒を利用して甘味ブドウ酒を造り出したのです。そうした甘口の、飲みやすいワインができたことで販路が少しずつ広がった。
これはワインの造り手から言うと、この甘味ブドウ酒があったから、日本にワインを造る技術が残ったと言えます。もしそれがなかったらもう日本でワインを造ってもだめだと言って、ワイン造りを諦めてしまっていたかもしれません。甘味ブドウ酒の原料としてではありますが、ワインを造り続けてきたというのが、その後の日本のワインの発展に技術として残ったのです。

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