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  −乙類焼酎の100年


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清酒の文明化と文化性
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酒論稿集
20世紀の酒文化
自由度の高さと風土性の豊かさ−乙類焼酎の100年
「20世紀の酒文化」研究の一環として、各酒類を代表するメーカーへのインタビューを行う。自らが醸した酒は、今世紀、どのような価値をもたらしたのかを振り返っていただく。
各社のお考えをうかがいながら、20世紀の酒文化への理解を深めていきたい。今回は乙類焼酎メーカーの薩摩酒造株式会社。語り手は鮫島吉廣氏(同社常務取締役製造部長)である。


−南九州の地酒であった醪取(もろみどり)焼酎(醪を蒸留して造る焼酎)は、この半世紀のあいだに全国で飲まれるようになりました。今日は、その背景にどんな技術革新や飲み手の変化があったのかをうかがいたいと思います。よろしくお願いします。
最初に鹿児島で芋焼酎づくりが産業化していくところをお聞きしたいのですが、明治30年(1987年)に禁止されるまで、ほとんどが自家醸造だったそうですね。
鮫島 ええ、産業化するのはその後です。自家醸造が禁止されて部落ごとに免許され、集団で酒を造り始めます。免許数は4000件くらいありました。それが酒税確保と業界の近代化のために明治42年頃に、行政主導で400件くらいに減らすという大改革が行われる。これは熊本や沖縄も一緒です。
そんななかで製造法の改善の動きが出て、二次仕込法が生まれてきます。それまではどんぶり仕込法で清酒と同じ黄麹菌を使っていました。一次醪を造らずに米とサツマイモをいっぺんに仕込むもので、腐造が多い危険なやり方です。それで、醸造試験場が清酒の技術を応用して改善を図るのですが、それが芋焼酎では定着しませんでした。
−と言いますと。
鮫島 清酒の技術の応用というのは、米麹と蒸米をまず一緒に仕込んで、それをもう一回繰り返すという造り方です。これは焼酎でも米焼酎の場合はうまくいくんです。ところがサツマイモは蒸しただけで非常に甘くなる。芋が入るとアルコール発酵が追いつかず、醪に糖が蓄積して雑菌が入り腐りやすくなる。そこで生まれたのが、米麹だけで一次醪を造り酵母を大量に増やしてアルコールを造っておいて、後から蒸したサツマイモを入れるという二次仕込法です。明治35、6年頃にそういう仕込法の萌芽があって、定着していくのは大正元年頃です。
−民間からそれが生まれるのですか?
鮫島 ええ。前にこの造り方はどこから来たのか検討したものをまとめました(「本格焼酎製造方法の成立過程に関する考察」参照/『醸造協会誌』第84巻第11・12号収録)。ちょっと専門的な話になるので詳しくは論文を読んでいただければと思います。私の結論は、どんぶり仕込法の配合を組み替え直す過程で、二次仕込法が開発されたと考えるのが自然というものです。

芋焼酎のオリジナリティと泡盛
−二次仕込法では最初の仕込みを米麹と水だけでやるとのことですが、それですと泡盛の醪に芋をかけているようなものですね。焼酎では黒麹菌の変異株の白麹菌を使っていますし、泡盛の技術の影響を受けたということは考えられませんか?
鮫島 泡盛から来たという考え方もあるんですが、それで説明できないのはひとつは汲み水の違いです。芋焼酎では一次仕込で汲み水120%ですが、泡盛はもっと水が多い。また、泡盛からであれば、米焼酎は泡盛になっていてもよさそうなのにそうなっていない。それから、泡盛の黒麹が芋焼酎で使われるようになるのは二次仕込法が確立した後なんですね。泡盛の技術からなら仕込方法と一緒に黒麹菌も入ってくるはずです。
−すると仕込法はオリジナルで、後から沖縄の黒麹が入って来てカワチ菌(白麹)につながっていくと。
鮫島 そうです。それと沖縄では芋焼酎が非常に飲まれていましたが、その製法も来ていません。
−えっ、沖縄に芋焼酎があったのですか?
鮫島 はい。でも沖縄の芋焼酎は、免許の大整理があった明治42年頃に消えてしまったんです。密造酒だから記録もなくて、いまだに復元されていない。唯一の記録だろうと思いますが、当時、鹿児島から行った田中愛穂という高校の先生の記述があります。それには沖縄の芋焼酎は、台所のいろんな残り物の野菜や豆を入れて、柔らかい団子くらいまでの硬さになるまで置いて、それに黴を生やしてモチ麹を造り、これを蒸したサツマイモに加えてつき砕き、味噌みたいな造り方で発酵させて蒸留していたとある。現在はまったくない造り方です。たぶん中国系だと思いますが、中国でもそういう形では芋を使ってない。それが非常においしくて一時期泡盛を凌駕する勢いで飲まれていたとある。もし、芋焼酎が沖縄から来たならば、この酒の造り方が来ていなければおかしい。
−二次仕込法が他の焼酎に広がっていくのは、どういう経過をたどるのでしょうか
鮫島 鹿児島では昭和17年に米焼酎もこの仕込方法に変わります。壱岐や球磨も税務署の指導で戦後変わっていきます。二次仕込法のほうが安全性が高くて、手間もかからず収量も多いのでどんどん変わっていくんです。
そして、この技術のおもしろさが昭和50年代の焼酎ブームの背景にありました。あの時、にんじん焼酎とかかぼちゃ焼酎とか、いろんな原料の焼酎が出ましたが、あれは二次仕込法があったからできたんです。

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