「20世紀の酒文化」研究の一環として行ってきた、各酒類を代表するメーカーへのインタビュー、第五弾はサントリー株式会社。同社は、国産ウイスキー第一号の「白札」発売から、日本独自の水割り文化の確立まで、日本のウイスキー市場を常にリードしてきた。その発展の秘密と経緯を、嶋谷幸雄氏(同社元取締役・山崎蒸溜所工場長)にうかがった。
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−御社が本格的にウイスキーを造り始めたのは、約70年くらい前になりますね。
嶋谷 1923年に免許申請をして翌年に造り始めてますから、生産を開始したのは1924年。今年で76年目になります。
−その時には、ビールもそうとう飲まれるようになっていましたし、ワインもそろそろ立ち上がっていましたけれども、あえてウイスキーに手を染めたというのは?
嶋谷 明治の初めに文明開化があって、ワインは国がその象徴として応援して、プロジェクトのようなかたちでやり始めましたが、ウイスキーは応援もしてくれないし、酒税法のなかにもそんなカテゴリーがない。
鳥井信治郎は初め、小西儀助商店という薬種問屋へ行って、洋風のものを触ったりしてます。それで独立して、ワインを事業としてやり始めて、それもずいぶん苦労した末に立ち上げてきたわけです。確かに世の中にも、そういう洋風な気運があったとは思います。しかし、ウイスキーを造ろうと思いつくというのは、鳥井信治郎の強烈な個性です。すごいですわ、商人魂。
それはやっぱり「赤玉ポートワイン」をやって若干成功しましたから、洋酒造りに対するいくらかの自信はあったでしょう。「わしがやったらやれる。やってみたい」という自信、闘志を持っておられた。
ウイスキー造りの難しさ |
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−当時のイギリスはたぶん、今のアメリカ以上に輝いていた。そういう一歩先を行く文明と先進国に対する憧れみたいなものが、ものすごく大きかったんじゃないでしょうか。
嶋谷 それはあったでしょうし、たぶん、そうとうに新しがり屋だったと思う。しかし、それこそ地を這う苦しみっていうのを味わわれています。「角瓶」が出るまでのあいだっていうのは。製造にしても、何もわからないところから造るんですから。私もずっとウイスキーをやってきましたけれど、ウイスキーは非常に難しい。
−何がいちばん難しいですか?
嶋谷 まず、原料から製品までの製造の工程が他の酒に比べて非常に多い。最後の製品の品質を左右する要素というか、要因がいっぱいある。どこかひとつ変えても酒が変わるけど、どこを触ったらどう変わるか、何がなんだかわからない。
それから、結果が出るのに時間がかかる。5年か6年しないと結論が出ない。現在では経験とか科学が進んでいますから、ある程度推定はできますけれど……。それでも、今でもやっぱりウイスキーは本当につくづく難しい酒。やってきて本当にそう思う。
しかも最初の頃は、注文がまったくなかったらしいですよ。だから逆に初めてウイスキー「白札」を出した昭和4年には、晴れ晴れしい広告をしてますよね(笑)。
「スコットランドにも勝るウイスキーができた(『断じて舶来を要せず』)」
心意気は高いですが、実際は原酒は一種類しかない。5年くらいの貯蔵しかしてなくて、一種類ではバッティングもブレンディングも一切できません。それだけで製品にしたら、そらもう、まろやかさもへったくれもない(笑)。
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