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第1回 ハッピーを大きくしたプレミアムビール
狩野卓也


第2回 変わりゆく饗宴外交
西川恵


第3回 かかりつけの名医のみつけ方
松井宏夫


第4回 日本の赤ワインの礎「マスカット・ベーリーA」
坂田 敏


第5回 週末はいつもアウトドア
廣川健太郎


第6回 不可能の壁を超える実践優位のマーケティング
石井淳蔵


第7回 ブレンダーという仕事
輿水精一


第8回 過去の体験が濾過されて曲になる
村井秀清


第9回 グラスはつくり手と飲み手をつなぐ
庄司大輔

第10回 落語を世界へ 英語で伝える日本の話芸
立川志の春


第11回 和食は「ご飯がたべたい」料理の文化
阿古真理


第12回 若者のための酒場歩きガイド
橋本健二


第13回 画像で気持ちが伝わる ネット口コミが市場を動かす
徳力基彦


第14回 創業60周年 復活した十三トリスバー
江川栄治


第15回 カクテルバーのコミュニティ
豊川紗佳


第16回 次に目指すは日本のバー文化の底上げ
坪倉健児


第17回 カクテルアワード受賞経験を倉敷で活かす
松下知寛

第18回 地域でつくるオペラアカデミー「農楽塾」
中嶋彰子

第19回 「消費されるワインの最高峰」を目指して
椎名敬

酒論稿集
酒器論稿
週末はいつもアウトドア
剱岳小窓尾根を登る捜索隊(2013 年5 月)■遭難救助を通して癒しの大切さを知る
―― 山の捜索というのは、どういうことをされているのですか。
廣川 私は10代後半から山岳会に入っていますが、山で遭難するとまずは同じ山岳会の人間や地元警察が救助のために動きます。大体一週間捜索して見つからないと打ち切りです。あとは、親しい山仲間がいれば捜索しますが、最近は山岳会に所属していない登山者も多いので、頼る伝手がない場合も多いです。そのようなときに、遭難者の家族が引き続いて捜索をしたい場合、警察経由で都岳連に相談が来ます。2012年から13年の年末年始は剱岳で4人が遭難した事故がありましたが、この捜索で5月から11月までで、16回、日数にして35日ほど剱岳の小窓尾根の遭難現場周辺から黒部川の河口まで捜索に向かいました。この年末には遭難された方への追悼も込めて剱岳に登ります。

―― 捜索活動は具体的にはどのように探すのでしょうか。
廣川 生存者がいれば別ですが、雪山遭難の場合には、雪崩や滑落が関わっているのでまずは遭難場所の特定からです。埋まっていそうな場所を雪解けの時期から巡回し、遺留品が見つかれば、遭難場所もだんだんと絞り込めます。早く探さないと下流に流されてしまう場合もあります。今回の剱岳の遭難は、場所が小窓尾根という急峻な岩稜帯なので素人の方は立ち入ることができません。8名から20数名で何回も捜索して遺品の一部から見つかり始め、雪解けとともに全員の遺体の一部を収容することができましたが、残念ながら全身を発見することはできませんでした。

―― 遭難捜索に取り組まれるのは、やはり仲間意識でしょうか。
廣川 それもありますが、いつも気に掛けるのは残されたご遺族へのケアです。ある日突然、家族が山で遭難して行方不明になってしまうのです。遺族は気持ちの整理もつきません。もしかすると何年間も放置される場合もあるし、川に流れて消えてしまうこともある。そういうときに山仲間が探しているという状況が慰めになり、少しずつ死を受け入れられる気持ちになるようです。

―― 山で遭難して遺体が見つからないケースってそんなに多いのですか。
廣川 全然珍しくありません。東京周辺の低山でも単独で登山届を出していないと、どこへ行ったのかわからない、見つかっていないケースが年に何件もありますから。

宮古で一緒にたこ焼きをしたボランティア仲間■被災地が元気になるまで見届けたい
―― 東日本大震災後しばしば岩手県宮古に被災者の支援に通われていますね。廣川さんのフェイスブックにもよく登場しますが、もともと宮古にお知り合いがいたのですか。
廣川 震災直後に被災地の災害支援活動をはじめるときに、盛岡YMCAの人が山屋なら装備も持っているだろうし水や電気がないところでも活動できるだろうと考えて、知人の山仲間を通じて誘われたのがきっかけです。それ以来53回、最低毎月1回は宮古に通っています。

―― 震災からもうすぐ3年になりますが(インタビュー時点)、よく続きますね。
廣川 もともと週末は山に行くというのがあたりまえの生活でしたから、そういう意味では山に行く何回かが宮古に変わったということなのでそれほど変わりありません。

―― 震災直後は全国からボランティアが集まったと思いますが、ここまで長く継続的に通い続けるというのは珍しいですね。そこまで駆り立てるものは何なのですか。
廣川 山の仲間を遭難で失う中でご家族がその喪失感を受け入れられるまで関わらせていただいてきた経験があったからかもしれません。もちろん被災地では家を失い、家族を失いですから山の遭難とは比較できませんが、他人ごととは思えない自分がいました。何回も通い続けているうちに、宮古の町のこともよくわかり、今は人だけではなく被災地が全体としてどのように元の生活を取り戻していくのか最後まで関わりたいという思いが強くなりました。来年から高台の造成地などで復興住宅が建ち始めるけれど、沿岸部は復興するまでまだ3〜4年はかかると思っています。それに何回も通う中で地元やボランティアの友達もたくさんできて、彼らに会いたいという気持ちもあります。

―― 今はボランティアとしてはどういう活動をしているのですか?
廣川 仮設住宅での家具の移動や片づけ、清掃、引越、花壇をつくり草刈りをして生活環境を少しでも良くしていくことなど、やることはいくらでもあります。自然教室で子供たちを山や川に遊びに連れて行ったり、仮設住宅でごはんつくってみんなで交流会やお酒を飲んだり、冬は餅つき、クリスマス会なども企画しました。商店街の復興市や秋祭りに焼きそばやたこ焼屋を出店したり、宮古魚菜市場青年部の出店にスタッフで参加したり、大学単位のボランティアや演奏会グループの受け入れの手伝いもしました。これからも復興住宅への入居や仮設住宅の統廃合に伴ういろいろなニーズがあることでしょう。
 よく寄り添うと言われますが、忘れずにまた訪ねることが多少でも被災地の皆さんの励ましになればと思います。会社が東日本震災を契機にボランティア休暇としてプラス5日くれるようになったのでフルに利用させてもらっています。


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