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第1回 ハッピーを大きくしたプレミアムビール
狩野卓也


第2回 変わりゆく饗宴外交
西川恵


第3回 かかりつけの名医のみつけ方
松井宏夫


第4回 日本の赤ワインの礎「マスカット・ベーリーA」
坂田 敏


第5回 週末はいつもアウトドア
廣川健太郎


第6回 不可能の壁を超える実践優位のマーケティング
石井淳蔵


第7回 ブレンダーという仕事
輿水精一


第8回 過去の体験が濾過されて曲になる
村井秀清


第9回 グラスはつくり手と飲み手をつなぐ
庄司大輔

第10回 落語を世界へ 英語で伝える日本の話芸
立川志の春


第11回 和食は「ご飯がたべたい」料理の文化
阿古真理


第12回 若者のための酒場歩きガイド
橋本健二


第13回 画像で気持ちが伝わる ネット口コミが市場を動かす
徳力基彦


第14回 創業60周年 復活した十三トリスバー
江川栄治


第15回 カクテルバーのコミュニティ
豊川紗佳


第16回 次に目指すは日本のバー文化の底上げ
坪倉健児


第17回 カクテルアワード受賞経験を倉敷で活かす
松下知寛

第18回 地域でつくるオペラアカデミー「農楽塾」
中嶋彰子

第19回 「消費されるワインの最高峰」を目指して
椎名敬

酒論稿集
酒器論稿
創業60周年 復活した十三トリスバー 江川栄治
■店は変わるもの、でも「庶民のバー」は変えない
−− お店は今年60周年と聞いていますが、江川さんがこの店を継いだのはたしか・・・・・・。
江川 41年半になります。昭和50年の5月で25歳でした。

−− その頃にはトリスバーはだいぶ少なくなっていたのではないでしょうか?
江川 まだ、大阪駅前の第一ビルとか通天閣とか三ノ宮とか、大きな街には一軒は残っていました。ピークは全国に35,000店もあったと言いますが、後継者がいなくて店を閉めたのが多かったです。

−− そんななかトリスバーを続けて来られた理由は何だと思いますか?
江川 親からの譲り受けですから同じようにしたのがよかったのでしょうね。同じようにしてもメニューが増えるとか変わるのですけれど、接待の店ではなくサラリーマンがポケットマネーで飲める店、庶民のバーというところだけは譲らず、変えませんでした。

−− そのころからずっと同じメニューがありますか?
江川 トリスのハイボールとかチーズとかありますよ。昔はチーズとしか言いませんでしたけれど、今はいろいろあるからプロセスチーズ。昭和30年代はコンビーフとオイルサーディンが一番のご馳走で、たいていは塩豆とかピクルスでした。

−− 今はいろいろメニューが豊富です。
江川 僕が店をやるようになって3〜4年してから食べ物を増やしました。しばらくしてイカ焼きを出して、それが今では一番人気です。イカ入りの卵焼きなのですけれど、味付けがお好み焼きにみたいになっています。お客さんから長く店を続けるなら名物があった方がいいと言われて、そのとおりだなと思っていた時に、ランチでハンバーグを食べたら皿ではなく鉄板で出てきました。これならずっと温かいまま食べられていいなあ、そうだウチの名物もこれで行こうと。でも、あまり高くなってしまってもダメですし、ボリュームも欲しいとか考えて、できたのがイカ焼きです。

−− 自家製のコンビーフを出すようになったのは?
江川 こっちは新しくて15年くらい前です。外国の料理番組でコンビーフのつくり方をやっているのを見て、真似してつくってみました。ちょっと味が違うんで柚子を入れたり山椒を加えたり自分なりに工夫しました。今は昔ながらの缶詰のコンビーフと両方あります。

−− いろいろ工夫するのがお好きなのですね。
江川 いや、食いしん坊なんですよ。何でも食べてみたい、飲んでみたいと思う性分だから、ソムリエや日本酒のきき酒師をとったり、BSの海外の料理番組と録画しておいて見たり、その前は関西テレビの「楽しい料理教室」という毎日やる料理番組を6年間欠かさず見て、テキストを買ってきて番組でやったものを店で出すのが楽しみみたいになってしまって、えらい病気に罹ってしまいました。(笑)

■お客様はどこかで繋がっている
−− お客様についてお聞きしますが、常連さんが多いように見えて、案外、入れ替わっているのではないですか?
江川 常連さんは多いですけれど、引っ越されたり通勤の経路が変わったり、常に動いています。まったく知らない人がポンと来るのはほとんどなくて、東京に転勤になった人が向こうでウチのことを話して、そこの人がこっちに転勤してきたり出張で来た時に覗いてみたりする。初めてのお客さんなのだけれど、どこかでつながっています。

−− 口コミでつながっているのですね。SNSの投稿で知る方もたくさんいそうです。
江川 フェイスブックとかミクシィとか多いですよ。最初は写真ばっかり撮って変なことをするなあと思いましたが、友達が50人いたらそれだけの人に宣伝してくれるのだからありがたいものです。毎晩日記を書くのは続かなくとも、どこでも書けるSNSならできる、友達がご褒美に「いいね」つけてくれるから楽しいのではないでしょうか。宣伝してくれるならうちもご褒美を出そうと思って、SNSに投稿してくれたら初投稿に限りハイボール1杯サービスというのをやっています。

−− ほう、発想が柔軟ですねえ、いつ頃始めたのですか?
江川 半年くらい前です。けっこう好評で、友達の投稿を見た人が来て、また書いてくれてと広がっていきます。妙な感じですけれど新しい文化ですね。害がある訳ではないし、いいんじゃないでしょうか。困るのは時々黙って僕の写真を撮る人がいるのですけれど、たいてい変な顔で写っているんです。撮る時にひと声かけてとお願いしています。やっぱりいい顔で写りたいじゃないですか。(笑)

−− 50周年の時に記念誌を出されましたね。あれは常連さんたちが進められたとか?
江川 2〜3年前から50周年だから何か残したほうがいいと言う人があって、記念誌をという話になりました。でも僕は文章なんか書けないしと渋ると、最初と最後にちょこっと書いたらいいから、お客さんに川柳を寄せてもらおうじゃないかと。それでお店に投書箱を置いてお客さんに「ちょっと書いてください」と声をかけました。皆さん最初は「私なんか」と断るのですが、ハイボールを3杯くらい飲んだら自分から紙をとってきて勝手に書き始めます。そうして集まったのをまとめました。

■日本の酒文化史に燦然と輝くトリスバー
−− 先ほどトリスバーは後継者がいなくて閉めた店が多かったおっしゃいましたが、十三トリスバーの後継者はいらっしゃるのですか?
江川 まだなのですけれど、お店を継ぎたいという子がいて、頑張って店を続けてくれるならありがたいと思っています。昼間は仕事しているので週に3日だけ手伝いに来てもらっています。いずれ昼間の仕事を止めてこういう店をやりたいと。

−− うまく繋いで70周年、80周年と長く続けていただきたいです。
江川 僕もあと何年もないかもしれませんけれど、トリスバーはサントリーさんが日本の酒とビール文化のなかに洋酒を浸透させようと、庶民のなかにつくったものです。それがあったから庶民が日本酒も飲むけれどウイスキーも飲むようになったわけで、日本の酒文化の一部になっていて、歴史として残したいと思います。

−− 『オールド』が全盛の時代になったり、ダイニングバーが登場してきたり時代の変化があったと思いますが、トリスバーから業態を変えようと思ったことはありませんでしたか?
江川 それは一切ありません。イメージが悪くても良くても、トリスバーは自分の学校と同じですから。出た大学のイメージが悪いから他所の大学を出たことにはしません。悪口を言われても受け止めるべきもので、イメージが悪いなら自分らが変えていこうと考えた方がいい。イメージが悪いというのは向きが違うだけですから。逃げないで、いい方向を向いて進まないといけません。

−− まさにおっしゃるとおりです。不躾な質問をして失礼しました。本店も新地の支店も末永くご繁盛されるよう祈ります。本日はありがとうございました。
(聞き手:酒文化研究所 山田聡昭/2016年9月12日/於 十三トリスバー新地店

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