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大地の精霊とワイン
 ところで日本には「地酒」という言葉がある。その土地でとれた米と、その土地の湧水でつくった酒のことだ。古代の日本人だって、大地の精 霊のことを思わなかったはずはない。さいわいこの国は雨量が多く、こんこんと湧き出る良水が多い。人々はその泉に大地の精霊を感じた。だ から日本人は古代の地中海人のように、根を深く地中にのばして、精霊を呼び出す必要がなかった。太陽の恵みの米と大地の恵みの水を合わせ ればよかった。私はイタリアの地酒としてのワインについて考えているうちに、日本の地酒についての認識をあらたにした。水稲にせよ陸稲に せよ、米は地表三十センチもあれば育つ。五穀すべてその程度だろう。
 この国にあって大地の奥深く根をはれと願うような植物は何だろうか。思いつくのは欅と楠。ていていとのびた欅や楠は、地上部分と同じぐら いの根を想像させる。そうでなければ激しい風雨に耐えられまいと。してみると私たちの巨木信仰は、実は地上部分だけにあるのではなく、そ れとほぼ等しい地中部分に対する信仰だったのではないか。大地の奥深くから大量の水を吸い上げている巨木。天と地を結ぶ巨木。
 私の見る限り、イタリアに巨木はなかった。ローマの松は有名だが、日本の松ほど大きくはない。ヴァチカンの松を思い出す。もし巨木があ るとしたらヴァチカン周辺にあっていいはずだが、ない。樹齢五百年、一千年の巨木があれば、きっと聖人の名を冠していることだろうが、そ れらしき木はない。過酷な陽差しがそれを許さないのであろう。ある限度を超えた高さにまで吸い上げるほどの水がないか、根っこにそれだけ の力がないかのいずれかだろう、と。
 古代の地中海人たちは、そこに自然の限界をみていた。植物の生理を見ていた。そういう観察と自然観が、ぶどうの木の育て方をあみだした。 蔓(つる)をのびるにまかせていたら、たった一度の旱魃(かんばつ)で枯死するだろうと。
 ならば地上部分を小さくして、根を限りなく大きくしようと。そうすると、収穫量は少なくなっても、濃い果汁がとれる。うまいワインがつく れる。大地の精霊とミネラルをたっぷり含んだ。そんなふうに想像をたくましくすると、地中海型の低木のぶどうづくりは、わが国の巨木信仰 とどこか似ている。

経済の地域循環
 イタリア人は無塩パンを好む。最初のうちは味けなさを感じるのだが、ちょっと慣れるとこれがイタリア料理と合うのである。私はそれを水に たとえた。口をすすぐ水。料理と料理の間にそれを食べて、口の中をきれいに清める。ワインを飲んで口をすすぐという説を聞いた覚えがある が、それではワインがかわいそうというものだ。むしろ水と対極にある霊性ゆたかな飲みもののはずだから。
 麦秋というにはまだ少々早いが、それでも麦の種類によってはわずかに色づいていた。オリーブの木立ちと、ぶどう畑と、麦畑。それがあや なす美しさ。それにエニシダの黄色い花、ヒナゲシの赤い花。旅行の目的は都市にあったが、都市と農村が表裏一体、一対のものであることを 私は痛感した。田園風景が美しければ、都市がまた美しい。もし農政が失敗していたら、イタリアの都市は醜くゆがんでしまっただろう。移動 をほとんどバスでしたために、そのことがよくわかった。農村と都市を発展段階でとらえて、農村を遅れた地域、都市を進んだ地域と考えるの はとんでもない誤解である。
 農村と都市は古来、文明の二大元素だったはずであり、このことは未来永劫に変わらないだろうし、変えてはならないことだと思った。二つ は一蓮托生、一方が滅んで一方が生き残ることはできない。一方が美しくて一方が醜いということもありえない。ともに美しくなるか、ともに 醜くなるかしかない。日本人の多くがそのことを忘れている。都市学者は農村を無視し、農政学者は都市に猜疑心を差し向けるばかりだが、そ れは間違っている。断固として変えねばならない。お互いを無二の親友とせねばならないのだ。
 あるレストランの主人は胸をはっていっていた。「材料の仕入れ先は半径二十キロだ。」と。私はその経済観を「ゴッドファーザーの経済」 と名付けた。イタリアーノの心意気。これあってはじめて都市と農村が均衡するのだ。地域循環が成立するのだ。このことはいくら強調しても しすぎということはない。
 私はあえて、ポルトガルや東欧のワインはもっと安かろうし、北アフリカの野菜はもっと安いはずだから、それを仕入れた方がよろしかろう にとまぜっかえした。だが、彼は微動だにしなかった。日本人だったら大揺れに揺れる。安い外国産品を使わないのは愚かだと。そう、なんだ って品質が同じなら、安い方を手にすることが賢いのだと。経済学がそれを正しいというのなら、「それは悪魔の囁きか、さもなくんば最悪の 愚行だ」とイタリア人だったらいうだろう。
 先進国のなかで、いちばん経済の地域循環を大事にしているのはイタリア人にちがいない。ぶどう畑と麦畑を見ながら、ワインとパンを口に しながら、私はそう確信した。いや、そればかりではない。テレビに映るサッカーの熱狂ぶりを見ながらだって、そのことがわかる。あの熱狂 的な愛郷心、その奥には断固とした地域主義があり、地域循環論についての確信があるはずだ。そうでなかったら、あの熱狂は成立しない。
 だからイタリアは駄目なのだと日本人はいう。グローバル・エコノミーの時代に乗り遅れたのだという。しかし、思えばイタリア人たちはパ クス・ロマーナ以来、地中海世界でさんざんボーダレス・エコノミーを経験してきたのであった。

【プロフィール】
井尻千男 (いじり かずお)
一九三八年山梨市に生まれる。現在、日本経済新聞社文化部編集委員。
【専門分野】
文壇、論壇、出版文化、都市論
【著書】
『消費文化の幻想』(PHP文庫)
『玩物喪志』(サイマル出版会)
『劇的なる精神 福田恆存』(日本教文社、中村星湖文学賞受賞)
『自画像としての都市』(東洋経済新報社)
『言葉を玩んで国を喪う』(新潮社)
現在、日経新聞書評欄のコラム「活字のうちそと」を連載中。

月刊酒文化 1996年 2月

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