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酒論稿集
酒の文化論
文明化の一極としてある文化の酒
工業化と酒の国際化
 酒の文明化は、一般論として述べる限り、一九七〇年代頃までは生産の工業化と商圏の国際化を両輪として進展してきた。ラガー・ ビールは、その典型的なモデルである。
 ビールの文明化は、例えばピルゼン・ビールについてみると、その銘醸地のブランドが世界的に流通するようになったことよりも、 ピルスナー・タイプのビールが、ビールを異文化の飲みものとしていた国々で、現地生産されるようになったことのほうが、はるかに 重要な意味を持っている。
 ピルスナー・タイプは、ピルゼンという産地とは無縁の、商標だけがすべてのビールである。それは文化の酒としての根拠を持って いない。しかし、それゆえに巨大な商品となりえたのである。
 対するにブレンデッド・スコッチは、文明化の条件である工業化と国際化を充分にみたしながら、なおスコットランドの特産品とし て訴求し続けた。飲み手に、工業化した商品のイメージを与えないためである。そこには酒の本質を地域固有の文化と見抜いた叡智が 働いていた。
 文化は、地域の伝統的生活にあてはめた合理性の上に形成されたもので、文明社会の科学的な思考にてらせば、特に生産技術面で、 納得できないことが多い。
 ブレンデッド・スコッチが文明化した酒であるにもかかわらず、文化の酒としてのアイデンティティを最近まで保持していたのは、 シングル・モルト・ウイスキーの伝統的な生産が、酒類産業の近代化の中で比較的に見れば、昔の面影を残し続けてきたこと、そして もうひとつ、蒸留酒の技術革新の成果であるグレイン・スピリッツをスコッチ・ウイスキーとみなすための条件をモルト・ウイスキー に準じて定め、きびしく自己規制したこと、この二点にあった。
 だが、文化性を維持することと量産は、そもそも両立しない。第二次世界大戦後の原酒大増産は、設備の新増設とともに、製麦部門 を外注化する合理化によって、蒸留所の独自性が失われることを敢えて行った。さらに、主要なスコッチ・ウイスキーの経営がビール 業界の傘下に入ったことで、商品としてのスコッチの文化性は、急速に希薄になった。その理由を、私は、ビールにおける合理性の追 求が、ウイスキー生産技術の前面に出てきたからだと想像している。
 こうして、二〇世紀の第四・四半期には、ブレンデッド・スコッチもまた文明の酒であることを露呈した。ウイスキーに文化の味わ いを求める人たちがシングル・モルトの魅力に惹かれるようになったのも、それが大きな理由であるに相違ない。
 ビールやスコッチは、二〇世紀を酒が文明化した時代だと語る場合、例として挙げるにふさわしく、わかりやすい。日本では、洋酒 が輸入されるようになって僅か一〇〇年のうちに、原産国からの輸入品に対して、国産のビールやウイスキーが圧倒的な優位を占める に到った。それらは文化として移植されたのではない。文明として移転した後に、日本の酒文化へ同化しつつ、全体として見れば、和 洋共存の文明化へ向かったのである。この時、洋酒が和酒と競合し、和酒の市場を奪ったであろうか。少なくとも二〇世紀の第三・四半 期まで、その形跡はない。和酒もまた工業化を実現しつつ発展を遂げていた。それが可能だったのは、市場がまだ飽和していなかった こと、そして、酒を飲むことを清酒によって覚えた人たちが飲み手の多数派を占めていたからだ。
 二〇世紀の第四・四半期は様相がまったく変わった。酒市場は、量的にみれば飽和し、質的にみれば、貿易自由化とともに、かつて 想像できなかったほどに国際化した。加えて、飲み手の世代交替は、日本の酒文化に占める和酒の比重を、ますます軽くしていった。ま さしく、清酒の退潮は市場に生じたこうした種々の事柄が複合して深刻な原因となったことにある。
 しかし、ここにもうひとつ指摘しておきたい問題がある。それは、清酒の工業化を実現した技術革新が、清酒の国際化に無関心であ ったことだ。工業化した清酒を、依然として日本の伝統的酒造技術の正統を継ぐ文化の酒と自負したことにも錯誤があった。文明化し た酒に文化のアイデンティティを与えるのは至難の業である。その結果、すでに国際化している日本の酒市場にも適応できなくなって いった。この辺の混乱は、吟醸酒の生い立ちを「YK三五」と表現したことに端的に示されている。
 原料米に山田錦、酵母に熊本県酒造研究所が選抜した熊本酵母、そして精米歩合三五%まで米を磨く。吟醸酒づくりのノウ・ハウと して一九八〇年代後半に清酒愛好家の間に広まったこの言葉は、吟醸酒が記号として表現できることを意味している。日本の酒造文化 の極致に吟醸酒を位置づけながら、一方では、それが普遍性を獲得した文明の酒であると語っていることに、矛盾を感じていなかったの である。
 工業化によって量産体制を構築した文明の酒は、同時に国際化を果さなければ生き残れない。多分、これが二〇世紀末に見えてきた 結論であろう。

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