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「乾杯」越境した酒作法
酒論稿集
酒の文化論
「乾杯」越境した酒作法
乾杯は西欧からの輸入文化
 そもそも日本には乾杯という習慣はなかった。江戸期までの文献に乾杯をするという場面は出現しない。当時の宴会で乾杯に準じる 行動は「大盃に酒を充たして参加者全員で飲む巡り盃」であった。江戸後期になり、個々人に盃が用意されるような席になると、「主 人が順番に客の前を回り、一人ずつと盃を交換する方式」が生まれる。それでも、やはり参加者全員での乾杯という行為にはいかない。 少し時代は遡るが、ルイス・フロイスが書いた『日欧文化比較』の中で、日本人の飲酒の特徴をあげている。曰く「酒をしつこくす すめあうので、酔っぱらったり、嘔吐する者がいる、日本人は食事中にはほとんど会話をしないが、酒で暖まって来ると、謳ったり踊 ったりする者がいる」というような内容である。酒で暖まって来ると云々とあるあたりに、饗宴での飲み方・振る舞い方は、四〇〇年以 上経過した今日でもあまり変化を感じられない。会話をしないというのは、茶道の作法の影響か直会の場面のことと考えられる。
 フロイスといえば、戦国末期、安土桃山時代に日本を訪れ織田信長など当時の大名と親しく交わり、京都に滞在していた。彼と交流 があったのは、支配階級で当時の上級武士や公家、大商人などであると思われる。したがって、当時の庶民の間でもこのような酒宴が 開かれていたかは定かではないが、酒を飲むときには相当激しく飲み、特に食事や酒の量を振る舞うことが最大の接待とされていたと 想像できる。
 ところが、明治維新を迎え、西欧の文物が大量に入ってきて日本人の価値観、社会構造が大きく変わる中で、宴席の持ち方も大きく 変わる。一気に西欧スタイルのパーティ方式を受け入れようと進められたのである。
 明治一六(一八八三)年に鹿鳴館ができて宴会やパーティが盛んに催されるようになった。これは、当時の日本一般とはかけ離れた 欧米式の社交の場であったが、明治維新から二〇年近くが経過して、徐々に地方でも有産階級が生まれ、特に交通の発達、中央集権国 家ということもあり役人、軍人などを中心に地方でも宴会が催されるようになっていくこのときの宴席の雛形は江戸時代以来の日本 式の宴席(京都大原や東京吉原などのいわゆるお座敷遊びを原型とするようなもの)が中心であったのだろうが、当時の欧米文化を取 り入れようとする気風から、和洋混淆の飲酒風俗が育まれていったのは想像に難くない。
 よく言われるように日本人は、こぞって欧風化を道を進もうとしていた時代である。このことを大衆がどのように評価していたのか を物語るおもしろい資料がある。明治二〇年代に川上音次郎が作成して大ヒットした社会風刺「オッペケペ節」の後半に食事や酒のこ とも唄われているのである。

♪オッペケペオッペケペ
言葉は開化の漢語にて、なんにも知らずに知った顔、
むやみに西洋鼻にかけ、日本酒なんぞは飲まれない、
ビールにブランデ、ベルモット、
腹にも慣れない洋食を、やたら食うのも負け惜しみ、
オッペケペッポーペッポッポーィ ♪


 当時の日本人がいかに欧風化の路線を歩んでいたかを痛烈に諷刺した一説だと思う。
 このような時代に、直会→饗宴という伝統的なスタイルをとっていた日本の酒の飲み方が、欧風のパーティに変わられ、同時に参加 者全員で唱和する「乾杯」をもって直会に代替するという考え方が生まれてきたのではないかと思われる。

軍隊を通して酒を知る
 明治以来の日本近代化の流れの中で、日本の伝統酒が下等な地位におかれ、従来の礼講・無礼講という小難しい方式が簡略化され、 新しく入ってきた「乾杯」と新しい外来の酒に置き換えられていくのである。実際に庶民がハレのとき以外にもお酒を飲む機会が飛躍 的に増えていくのは、もう少し時間を待つ必要があるが、ともかく祭祀性のない宴会、日常的な飲酒というものが庶民にも広まってい く。そこで乾杯という行為が大きな役割を果たしたのであろう。
 その契機になったのは日清戦争・日露戦争である。農村から多くの若者が徴兵によって軍隊に入る。軍隊は、ある意味西欧的な文物 を学ぶ先進的な場でもある。しかも、戦いという非日常の場は、精神の安寧のために酒はふんだんに用意されるのが常である。さらに 言えば、当時の地方では考えられない、洋食やビールなどといった西欧風の食生活に触れる場でもあった。軍隊で飲酒体験を積んだ世 代にとっては、戦後地方に帰ってからも、お酒を飲むということへのハードルが下がる。
 一方で明治後期からは産業化が進み、都市への人口流入・中産階級の増加にともない、生活水準が豊かになりはじめる。こういった 中で、憧れの酒はけっして清酒や焼酎など馴染みのある酒ではなく、当時は高価であったビールなのであろう。ビールでの乾杯という のは、大正・昭和初期の男にとっては、非常に嬉しい行為だったに違いない。

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