時代や文化とリンクしたお酒に関する旬の情報サイト
酒文化研究所ホームページ
会社概要酒文化の会メールマガジンContact UsTOP
イベント情報酒と文化コラム酒文研おすすめのお店酒文化論稿集酒飲みのミカタ特ダネ
海外の酒めぐり日本各地の酒文化見学できる工場・ミュージアム酒のデータボックスアジア酒街道を行くリンク集

 
<論稿集トップへ

「天の美禄」を止めますか?

大人の文化と酒の飲み方

ワンカップはどう生まれ、どこへ行くのか?

「酒を混ぜる文化」考

諏訪杜氏の特質と「出稼ぎ」労働力輩出の背景

日本の蒸留酒の未来(上)

日本の蒸留酒の未来(下)

酒を交ぜる 酒を寝かす

大地の精霊とワイン

文明化の一極として
  ある文化の酒


「乾杯」越境した酒作法
酒論稿集
酒の文化論
諏訪杜氏の特質と「出稼ぎ」労働力輩出の背景
諏訪杜氏の特質
 上記の特質は、他の杜氏集団と共通する部分が多いが、諏訪杜氏に特徴的な性格も見られる。それは、出稼ぎ先と母村との緊密なネットワークを持っている点と、家計の状況が比較的安定している点、の二つである。
 前者については、諏訪のサカヤモンの場合、出稼ぎ先の多くが諏訪盆地周辺で、母村からの距離が近い点が特徴的である。酒造会社も、出稼ぎ者が村の寄り合いや義務人足のために一時的に帰村したり、区長に選出されて一年間出稼ぎを休むなど、村勤めに対して理解を示していた。また、各酒造会社の酒造出稼ぎ者は、富士見町と隣の原村内の近隣集落出身者が多いため、多くが顔見知りだった。そのため、かつては各グループを超えたネットワークが見られた。例えば、A酒造のカシラが諏訪地域内のB酒造に杜氏として部下を連れて移籍し、その後も古巣のA酒造の杜氏が技術指導に頻繁に通うこともあったが、そうした状況に酒造会社も寛容だった。こうして、各グループ間の情報が緊密に交換され、諏訪の酒造出稼ぎ者の幅広い情報がそれぞれの母村に素早く伝わった。

「上層」農家からも多い出稼ぎ者
 後者に関しては、先行研究が盛んな但馬、越後と比較で見てゆきたい。例えば「但馬杜氏」の場合、「出稼ぎ」の理由は三つあげられている(註3)。それは、特殊な農村工業が存在せず、降雪が多く、耕地面積が少ない(図表2)という点である。昭和初期の資料をみると、耕地に関しては、「照来村を除く十箇町村は普通の年に於てすら飯米を自給し得ぬ状態にある」としている。畑では、桑を栽培し養蚕を行い、加えて但馬牛の飼育もしていたが、農業経営収入が少ないので、出稼ぎせざるを得なかったという。
 今日、最大勢力である「越後杜氏」の場合はどうか(註4)。酒造出稼ぎ者が多い柏崎地区では広い水田面積を持つ家もあるが、出稼ぎ者を出している家は、中規模農家もしくは小規模農家が多い(図表3)。
 これに対して、諏訪杜氏の場合は様相が異なる。瀬沢新田区の農家の水田所有の状況と、その中の酒造出稼ぎ者の分布(斜線部分)をグラフに示した(図表4)。これを見ると、上位一〇戸のうち八戸を酒造出稼ぎ経験者のいる家が占め、当区農家の平均七五 を大きく上回る家が多い。もっとも、現在では菊をはじめとして狭い面積で高収入が得られる作物も普及し、水田面積が一概に農家の「豊かさ」を示すとは言い切れない。だが、少なくとも養蚕が盛んだった時代から減反開始までは、水田が農業の主力だった。それゆえ当地では、多くの村の人が言うように、「百姓の大きな、金持ちの家が、酒屋に行く」というイメージをもたれ、実際に「上層」農家を中心に酒造に出ていたのである。
 その結果、酒造出稼ぎで得られた賃金の多くが、主に耕地への投資や子弟への教育費など、いわば家経営体の先行投資に向けられている(註5)。

出稼ぎ先と村内での評価の関連性
 既述のように、当地では伝統的に出稼ぎ労働と農業をセットにして家経営が成立してきた。そのため村人が、「酒屋に出て一人前」、さらには「(若い者が)行かないと人目も悪い」と語るように、事情が許す限り出稼ぎに出ることが期待されてきた。そして、出稼ぎ先の酒造会社での働きぶりや昇進の情報も村に伝達された。例えば、蔵の仕事を手抜きでやっていると、「あの衆は、山で稼がないが、蔵でも時計ばっか見てる」と揶揄されたりした。こうして、夏の農作業や村での生活ぶりだけでなく、冬の出稼ぎ先の状況が、その人物に対する評価を左右する。とりわけ厳しい鍛錬に耐えて技術と人望を認められて、経済的にも安定した杜氏に昇進したことが、村での高い評価と信頼感を生み出すことも多い。
 実際、瀬沢新田区を代表する区長の選出にそれが反映されている。区長は、全戸が出席する総会において投票で決められるが、現存する杜氏経験者八人のうち七人が区長として選出されている。区長選出の基準は人望、経済的状況、年齢の三点が基準で、選出されると一年間は常勤で役場に詰めて区の仕事に専念することになる。当地の区長は任期が一年で、最近こそ名誉職の色彩が薄れてきたが、村の社会的上位として認められるために重要な役職であった。区長を経験した杜氏経験者に目を向けると、もともと上層農家出身者が推挙された例がみられる半面、出稼ぎ前の段階では小規模農家に該当する家もあった。具体的には、水田所有面積は20アールが1人、50アールが2人、60アールが1人いた。彼らに関する村の人の評価を総合すると、酒造出稼ぎにより経済力が上昇し(図表5)、信頼感を獲得したことが区長への推挙に影響したと考えられる。

<<前頁へ      次頁へ>>