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「天の美禄」を止めますか?

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酒を愛でる漢詩
 ところで、日本人に愛される漢詩には酒を愛でた詩が多いことも知られています。「酒に対して当(まさ)に歌うべし/人生 幾何(いくばく)ぞ」(曹操(そうそう)「短歌行(たんかこう)」)、「葡萄(ぶどう)の美酒(びしゅ) 夜光(やこう)の杯(はい)/飲まんと欲すれば 琵琶(びわ) 馬上に催(うなが)す」(王翰(おうかん)「涼州詞(りょうしゅうし)」)、「琉璃(るり)の鍾(さかづき) 琥珀(こはく) 濃し/小槽(しょうそう) 酒滴(したた)りて 真珠紅(くれない)なり」(李賀(りが)「将進酒(しょうしんしゅ)」)、「君に勧(すす)む 金屈巵(くっし)/満酌(まんしゃく) 辞するを須(もち)いず」(于武陵(うぶりょう)「酒を勧(すす)む」)、「薄薄(はくはく)たる酒も茶湯(さとう)に勝り/そそたる布も裳(しょう)無きに勝(まさ)る」(蘇軾(そしょく)「薄薄酒(はくはくしゅ)」)などなど、枚挙に暇がありません*3。なかでも李白(りはく)(701〜762)は自ら「三百六十日/日日(ひび)酔いて泥の如(ごと)し」(「内(つま)に贈る」)と告白するように、李白の酒好きはつとに有名で、かの「花間(かかん) 一壺(いっこ)の酒(さけ)/独(ひと)り酌(く)みて相(あ)い親(した)しむもの無し/杯(さかづき)を挙(あ)げて名月(めいげつ)を邀(むか)え/影(かげ)に対(たい)して三人(さんにん)と成(な)る」(「月下独酌(げっかどくしゃく)」)をはじめとする多くの詩に飲酒の歓びを謳います。
 また、田園詩人・隠逸(いんいつ)詩人として知られる陶淵明(とうえんめい)(365〜427年)の酒好きも有名です。陶淵明には「飲酒*4」と題する二十首連作の詩がありますが、その序文には、「余(わ)れ閑居(かんきょ)して歓(よろこ)び寡(すく)なく、兼(か)ねて比(この)ごろ夜已(すで)に長し。偶々(たまたま)名酒有り、夕べとして飲まざる無し。影(かげ)を顧りみて独り尽くし、忽焉(こつえん)として復(ま)た酔う」とあります。秋の夜長、取り立てて楽しみがあるわけでもなく、夜毎つれづれに影法師を相手に酒を飲んで酔っぱらい、酔っぱらった後に「歓笑(かんしょう)(お笑いぐさ)」にと、自ら楽しんで詩作したのが「飲酒」二十首です。

*3 串田久治・諸田龍美著『ゆっくり楽に生きる 漢詩の知恵』(学研)ではこれらの詩を紹介しているので参照されたい。
*4 前掲書の第二部「酒のよろこび」を参照。


陶淵明の禁酒宣言
 ところが、ことのほか酒を愛し、朝な夕な酒に酔いしれることを好んだ陶淵明に、何と「止酒(酒を止む)」と題する詩があるのです。「酒を止める」というからには「禁酒宣言」の詩のはずです。

  酒(さけ)を止(や)む

  居(きょ)は城邑(じょうきゅう)に次(やど)るを止(や)め
  逍遥(しょうよう)として自(おの)ずから閑止(のどか)なり
  座(ざ)するは止(た)だ高蔭(こういん)の下(もと)のみ
  歩(あゆ)むは止だ篳門(ひつもん)の裏(うら)のみ
  好味(こうみ)は止だ園葵(えんき)のみ
  大歓(だいかん)は止だ稚子(ちし)のみ
  平生(へいぜい) 酒を止めず
  酒を止めれば情(じょう)に喜(よろこ)び無(な)し
  暮(くれ)に止めれば安(やす)らかに寝(い)ねられず
  晨(あした)に止めれば起(た)つこと能(あた)わず
  日日(ひび) 之(こ)れを止めんと欲(ほっ)するも
  営衛(えいえい) 止(と)まりて理(う)まらず
  徒(た)だ知(し)る 止むことの楽(たの)しからざるを
  未(いま)だ知らず 止むることの己(おのれ)を利するを
  始(はじ)めて止むことの善為(ぜんた)るを覚(さと)り
  今朝(こんちょう) 真(まこと)に止めん
  此(こ)れより一(ひと)たび止め去(さ)りて
  将(まさ)に扶桑(ふそう)のほとりに止(とど)まらんとす
  清顔(せいがん) 宿容(しゅくよう)を止めん
  奚(なん)ぞ止だ千万祀(せんまんし)のみならんや

 一見してわかるように、すべての句に「止」の字を使った戯詩です。通釈すれば、「都会に住むのを止めて、暢気に暮らす。座るのは木陰だけ、歩くのは柴折戸(しおりど)の内だけ。ご馳走は菜園で採れるものだけ、歓びは子供と戯れることだけ。今まで酒を止めたことはないが、酒を止めて何が楽しいのか。日暮れに止めたら寝付きが悪いし、朝に止めたら寝起きが悪い。止めようかなとも思うが、そうすると血の巡りが悪くなる。だから酒を止めたらつまらないと思うので、酒を止めて利があるかは知らない。しかし、酒を止めるのは良いことだと思ったので、今朝から止めることにする。これからは酒を止めて、東海に浮かぶ扶桑の島で暮らそうか。さわやかな顔になって生まれ変わり、千万年でも生きてみるか」ということになります。
 「止酒」と題し、いかにも「禁酒宣言」をしているかのようですが、そもそも陶淵明に禁酒する気などさらさらありません。「今朝からきっぱり酒を止める」、「酒を止めて生まれ変わる」と決意を表明するかのようですが、陶淵明の真意はまるで正反対なのです。「子供と戯れる意外に歓びといえば酒を飲むくらい」という陶淵明にとって、酒を止めたら体調が崩れるのです。だからこれまで一度だって酒を止めようとしたことがないのです。
 陶淵明といえば、「帰りなん、いざ」に始まる「帰去来(ききょらい)の辞(じ)」が想起されるでしょう。これは41歳で地方長官となった陶淵明が、監査官が来るから礼装して出迎えるようにと命ぜられた時、「吾(わ)れ五斗米(ごとまい)の為に腰を折る能(あた)わず」と言って官を辞した際に生まれた名文です。上司に媚びて宮仕えするなどまっぴらごめんと、命令を拒否して辞職した陶淵明です。生活のためであっても自らの生き方を捨てない陶淵明が、どのような理由があれば大好きな酒を止めるでしょうか。
帰去来辞

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