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「天の美禄」を止めますか?
人生、百に至ること少なし
 すでに耳順(じじゅん)になんなんとする陶淵明は、恐らく肉体の衰えを感じていたことでしょう。日がな一日酒浸りというのは「楽しみ」ではあるが「己を利す」ことにはならないかもしれないと、少し不安になったのかもしれません。そこで、「そろそろ酒を止めようか」ということになるのですが、酒を止める歓びは何だろうと、はたと考えてしまいます。すると、それはせいぜいが扶桑の島で永遠に生き続けることです。しかし、東海の海に浮かぶ楽園で不老不死を求めるほど、陶淵明は野心家でもなければ夢想家でもありません。「飲酒」二十首は酔っぱらってものした「歓笑」であると自ら言いますが、そこには酒に託して陶淵明の人生観が語られています。
 「宇宙 一(いつ)に何ぞ悠(はる)かなる/人生 百に至ること少なし」(其の十五)、人生どれほど長く生きてもせいぜい百年、悠久の宇宙に比べれば、百年にも満たない人の命の何とはかないことか、これが現実であるれば千万年も生きようなどという幻想は傲慢というものです。陶淵明は意に反することは拒否する一方、「扶桑に渡り千万年も生きる」などという幻想を追い求めることこともしません。すると、酒を止めても何の得るところもないことになります。それならば残された人生を酒を飲んで楽しもうではないか、ということになるでしょう。
 古来、酒を愛した詩人は、「昼は短く 夜の長きに苦しむ/何ぞ燭を秉(と)りて遊ばざる」(「西門行」)、「酒に対して当(まさ)に歌うべし/人生 幾何(いくばく)ぞ/譬(たと)えば朝露の如(ごと)し/去る日は苦(はなは)だ多し」(曹操「短歌行」)などと、短い一生をあくせくすることはない、酒を楽しんで生を実感しようと飲酒を勧めます。「人生 百に至ること少なし」と謳う陶淵明も同じです。すなわち、陶淵明は「酒を止めて生まれ変わり、千万年でも生きてみるか」と茶化してこの詩を結び、「酒を止む」ことを笑い飛ばしているのです。
 「悠悠(ゆうゆう)たるものは留(とど)まる所に迷(まよ)うも/酒中に深き味わい有り」(其の十四)とも謳います。「悠悠たる者は名に趨(はし)りて已(や)まず」(『列子(れっし)』楊朱篇)といわれるように、名利を追い求める者は地位や財産、あるいは名誉を後生大事にするが、本当の人生の味わいは酒にあるというのです。「規規(きき)たるは一(いつ)に何ぞ愚かなる/兀傲(ごうこつ)なるは差々(やや)穎(まさ)れるが若(ごと)し」(其の十三)、酒も飲まず小心翼々とする愚かさに比べれば、酔いつぶれているほうがまだしも賢明という陶淵明の人生哲学は、まるで現代の我々に訴えかけるかのようです。「酒でも飲んでゆったりすれば? そうすれば、攻撃的な思考から解放されて他者に優しくなれますよ」と。

【プロフィール】
串田久治(くしだ・ひさはる)
1950年3月、大阪市生まれ。桃山学院大学文学部教授・同大学大学院文学研究科教授。文学博士(大阪大学)。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程(中国哲学専攻)中退。大阪大学助手、愛媛大学講師・助教授・教授、大阪府立大学教授を経て2004年4月より現職。専門は中国哲学・中国古代社会思想史。著書に『中國古代の「謠」と「予言」』(創文社、1999年)、『儒教の知恵―矛盾の中に生きる』(中公新書、2003年)、『ゆっくり楽に生きる 漢詩の知恵』(学研、2004年)などがある。
URL:KUSHIDA'S WEB SITE

月刊酒文化 2004年12月

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