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北関東地方における清酒製造業の形成過程
4 新潟県出身者の新興地主化
 あらためて図表1をみると、栃木・群馬・埼玉の各県には地元出身の酒造家が少ない。この中には前職を商人とする家や農家の分家 が含まれており、したがって地主起源の酒造家はさらに少ない。特に埼玉県ではそれが現入間市の友野家と現吉田町の肥土家に限られ ており、その上これら二件も畑作地帯に立地しているため、余剰小作米加工を主とした地主型副業経営のイメージには程遠い。
 地主副業型経営が淘汰された主な原因は、一九〇四(明治三七)年に国立醸造試験所が設立されて技術普及を行う以前、酒造家間の 技術差が大きく、自らが杜氏経験をもつ新潟県出身者や製造部門を越後杜氏に任せていた近江商人と比較して、地元出身者が技術力に 劣っていたからであろう。例えば、栃木県の楡井家という旧地主に聞いた話では、創業者自らが酒造りを試みたところ、うまく造れな かったのですぐに店をたたんだという。また、明治期の『醸造雑誌』(8)をみても、清酒製造業を開業したいので酒の造り方を教えて欲 しいという読者の質問が多い。そのような状況において、副業にすぎない清酒製造業に多大な投資をして技術開発に取り組むか、また 賃金の高い腕利きの杜氏を雇った地主副業型の酒造家は少数であったと推察される。むしろ清酒製造業を廃業して、農業に特化した安 全経営を選択するのが一般的であろう。
 一方、清酒製造業を専業とする近江商人と新潟県出身者は、経営を維持するために品質 競争で優位に立てるよう投資を行い、かつその資金を回収するだけの売上を得なければならない。その前提条件として、生産量を増や すためには、納税保証制度に則して土地や建物、有価証券などの資産を担保に入れるか、あるいはそれらの代わりに保証人を立てなけ ればならなかった。この中で税務署から勧められたのは、災害や景気の変動に伴って担保価値が下落する危険性の少ない土地であった。 実際、新潟県出身で現埼玉県熊谷市に出店し、大正期まで清酒製造業を営んでいた長井家の例をみても、毎年のように土地を購入してい る様子がうかがえる(図表8)。一方、近江商人は主人が本宅に住んでいるため、酒蔵周辺の土地を管理できず、したがって主に有価 証券を担保にしていた(9)。また、地元出身の酒造家は担保物権を用意せず、二件が互いに保証人となることで納税保証制度に対応し ていた(10)。地元出身者が土地を担保にしなかった理由は、業者間の競争が激しく、かつ腐造や売掛金回収の困難等、経営上のリスク が高い清酒製造業を本業の地主経営から切り離し、資産を守るためであったと推察される。
 以上の経緯により、地元出身者が清酒製造 業の経営規模拡大に消極的であったのに対し、新潟県出身者は製造量を増やすと共に土地を集積して新興地主になった。つまり、近代以 降の北関東清酒製造業は、地主の副業経営から発展した東北・北陸地方と異なり、新潟県出身者と近江商人を系譜とする専業型酒造家 の積極的な経営によって支えられてきた。

5 おわりに
 一般に清酒製造業を地主の余剰小作米加工から発展した産業とみる考え方が広まっているが、北関東地方においてはこれが近代以降 の経営と断絶している。北関東清酒製造業にとっての近代とは、地主副業型経営が淘汰され、代わって近江商人と新潟県出身の専業型 酒造家が繁栄する転換点であった。
 北関東地方で地主副業型経営が専業型経営に移行できなかった背景としては、近江商人や新潟県出身者など専業型酒造家の相次ぐ新 規参入や、灘・伏見酒の流入に伴う競争圧力の急激な強大化がある。東北・北陸地方のように競争圧力の増大が比較的緩やかな地域で は、地主が清酒製造業を農業経営から切り離して、企業的な経営へと転換する時間的な余裕があったかもしれない。しかし、北関東地 方のように競争の激しい地域では、専業型酒造家が家業を維持するために品質や市場占有率の向上を目的として積極的な投資を行うの に対し、地主副業型の酒造家は多大なリスクを負って投資をするよりも清酒製造業を廃業して、農業に特化したと考えられる。
 実際、北関東地方の専業型酒造家は市場占有率を高めるためにしばしば地縁・血縁関係に基づく集中出店を行い、経営規模の拡大と 共に有価証券の購入や土地の集積によって担保力をつけていったが、反対に地主副業型の酒造家は資産を失うリスクを回避するため、 店舗の増設や担保力の増大に消極的であった。そして、第二次大戦後までには他県出身の専業型酒造家が地主副業型の酒造家を淘汰し、 業者数、生産量共に大半を占めるに至った。

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