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北関東地方における
 清酒製造業の形成過程


江戸時代における
 知多半島の醸造業の
 展開とその背景

酒論稿集
酒の文化論
江戸時代における知多半島の醸造業の展開とその背景
2 原料の確保
酒の原料は米と水。酢は米と水から造られる米酢と、酒粕と水から造られる粕酢がある。中埜又左衛門が造る酢は粕酢であった。
酒の原料の米の調達については、払居米制という尾張藩の年貢米地払いシステムと新田開発の持つ意味が大きかったことがこれまで指摘されている。中埜又左衛門家の酒造米には商人米と作徳米が用いられる。商人米は知多郡内で払居米にされた米と西尾・岡崎藩領など西三河産の米が中心である。作徳米は、海岸線沿いを堤防を築き大規模に造成した亀洲・山方(以上半田市)・前浜(碧南市)・小栗(西尾市)の各新田などより、内陸部の本田畑やその周辺を開墾した岩滑(半田市)・村木(東浦町)などから供給されるケースのほうが多い。地味が悪く、災害などの被害をうけやすい海岸沿いの新田より、新田を含む内陸部の所持地のほうが安定的な収穫が見込めたものと思われる。
酢の原料である酒粕の調達は米の調達より容易であった。中埜又左衛門自身も幕末期までは酒と酢の両方を醸造していたし、半田周辺や西三河には別家など中埜家と関係の深い酒造家も含めて多数の酒造家があり、そこから酒粕を購入もしていた。
それに対して、水の確保は容易ではなかった。知多半島は雨量も多くはなく、半島であるために長い河川がない。さらに、醸造の蔵は荷物の運搬の都合から比較的海に近いところに立地しており、新しい地層であるため醸造に適した地下水が得られる水脈も少なかった。そのため、半田では丘陵部の末端に醸造用の井戸が数多く掘られ、そこから桶で水を運び醸造に用いていた。
さらに効率よく水を確保するために、半田の醸造家たちは丘陵の麓の水源から上水道を敷設する。中埜又左衛門は文政二〜四年(一八一九〜二一)と嘉永二〜四年(一八四九〜五一)に上水道を設置したことが史料から確認される。その他、幕末期から明治半ばにかけて、小栗平蔵・坂登屋・中埜半助・亀甲冨などが水道を敷設していることが、『新修半田市誌』上巻に掲載されている図から確認できる。中埜又左衛門の文政期の水道は総延長約四五〇メートル、総工費約三〇〇〇両、嘉永期の水道は総延長約一二〇〇メートル、総工費約二三〇両である。いずれの場合も、水源の井戸から醸造場に設けた井戸までを木樋で繋ぐというのが基本的な水道の構造である。
しかし、水道の途中でも水が利用できるように井戸を配置し、水に混じった砂利などを除き水量を確保するために数カ所の枡を設け、木樋の接続と方向転換のために小間頭で木樋を結合させるという工夫が必要であった。
この水道敷設工事に用いられた材木類のうち、檜や杜松は名古屋や三河から、松は知多半島内で調達されたが、材料さえ揃えば水道が敷けるというわけではなかった。水道工事においては水漏れを防ぐ技術が不可欠である。木樋はコの字形にくりぬいた材木と蓋を合わせて製作される。小間頭には木樋を差し込む穴があけられている。こうした木の継ぎ目には、漏水防止のため槙皮(木の皮をほぐしてゆるい縄状にしたもの)が詰められている。
こうした技術を持つ存在としては、船大工や桶・樽職人がいる。半田は古くからの湊であり、船大工も数多く居住していたといわれる。実際、中埜又左衛門の水道敷設の際には船大工が動員されている。
また、文政期の場合は新川の伏越、嘉永期の場合は新川の底への水道の木樋の埋設という難工事を伴っていた。川底の地中に木樋を埋める場合、木樋の保護のため樅などを木樋にかぶせ、木樋の周辺を粘土で固めてから埋設する。その仕事にあたった人足は史料では「カケハナシ」と表現されているが、これは知多半島に数多くいた黒鍬という土木技術者と推測される。黒鍬は溜池や土手など土を突き固めて構造物を築く作業を得意とし、醸造場ではかまど周辺の基礎整備などに従事していることが確認できる。このように、醸造品の重要な原料である水を確保できるようになった背景には、知多半島が抱えている技術力の高さ、技術者集団が存在していたのである。

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