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北関東地方における
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江戸時代における
 知多半島の醸造業の
 展開とその背景

酒論稿集
酒の文化論
江戸時代における知多半島の醸造業の展開とその背景
4 輸送手段としての廻船
江戸市場へ酒を供給するためには、輸送手段としての廻船が不可欠であった。その点、知多半島は江戸までの距離が短く、かつ難所の熊野灘を通る必要がないという地理的によい条件にあった。半田・亀崎・大浜など衣浦湾沿岸の江戸積の醸造家は廻船主を兼ねている場合が多く、自家製の製品輸送に利用していた。また、衣浦湾沿岸の廻船は複数の船主による共同所有が多く、海難事故に伴う危険を分散させると同時に、醸造地帯としての地域的な輸送需要にも応えていた。
さらに、上方の酒を輸送した樽廻船が、一九世紀前半には積載量一五〇〇石を超す船が登場するなど大型化するのに対して、衣浦湾岸の廻船は三〇〇〜六〇〇石程度の比較的積載量の少ない廻船が多い。このような廻船の大きさの違いは、単に醸造品の生産量の違いによるだけではなく、商品としての性格や販売のあり方の違いによると思われる。「中国酒」にとっては、上方の酒が不足しているタイミングがもっとも商品価値が高まる時であり、上方酒の供給状況をみながら商品を供給できる機動力が求められた。そのため、一度に大量の商品を運ぶのに適した大型の廻船ではなく、必要な量の商品を必要な時に運ぶのに適した廻船が発達したと考えられる。
大市場・江戸との間の荷物は衣浦湾岸の廻船が主に輸送していたが、それだけでは道具などその他の物資を十分に供給することはできない。知多半島の醸造業が三河から伊勢・熊野までの伊勢湾周辺地域に支えられていたことは先にみたとおりである。図表3 からは、物資を輸送する船は半田や亀崎の船ばかりではないことがわかる。伊勢湾周辺の物資輸送には、成岩(半田市)・名古屋などの伊勢湾沿岸、御馬(蒲郡市)や下地(豊橋市)などの三河湾沿岸の地域廻船があたっている。そのなかには、森津(弥富町)の川船のように、木曽川河口近くに位置して、濃尾平野の内陸部と伊勢湾・三河湾沿岸をつなぐ船もあった。この他にも、三河からの酒粕や材木類は、中畑(西尾市)や平薮(豊田市)などの川船が運搬している。
さらに、大坂や尼崎などの上方とこの地域を結ぶのが、内海船や富貴船などの全国流通を担っていた尾州廻船である。上方は醸造先進地域であり、酒はもちろん酢も「北風酢」というブランド品があり、市場としては期待できなかった。しかし、先にみたように醸造用道具の供給地として重要であり、商品輸送とは別に、物資を調達するためだけの一方通行の輸送方法が必要であった。そこで、上方・西日本と江戸方面を往復している尾州廻船が、その途中で鳥羽などの伊勢湾周辺の湊に寄港して、上方からの必要な物資をこの地域に供給するという方法がとられたのである。先にあげた史料にある「永昌丸」も内海(南知多町)を船籍とする内海船の一艘であった。
このように、製品・物資の輸送という面においては、知多半島の醸造地帯は製品を運ぶ醸造家などが所有する衣浦湾岸の廻船だけではなく、この地域に数多く存在していた地域廻船や湊と内陸をつなぐ川船、全国流通の担い手であった尾州廻船というこの地域の輸送力によって支えられていた。

以上、知多半島の醸造業の特色とその発展の背景について簡単に述べてきた。知多半島において、大規模な醸造業が発展し、江戸市場で一定の地位を確保できるようになった背景には、原料・道具の調達や労働力など醸造業に必要なあらゆる面における知多半島の高いポテンシャルが存在していた。と同時に、必要に応じた製品を含めての物資輸送を可能にする船による輸送網が成立していたことにより、伊勢湾周辺地域、さらに上方・江戸との関係を維持できたことが、もう一つの背景として指摘できる。

(1)篠田壽夫「知多酒の市場盛田久左衛門家の場合」(『豊田工業高等専門学校研究紀要』一六、一九八三年)、「尾張国知多郡酒造業と尾張藩の財政政策」(『酒史研究』四、一九八六年)、「知多酒造業の盛衰」(『社会経済史学』五五ー二、一九八九年)など。
(2)日本福祉大学知多半島総合研究所・博物館「酢の里」共編著『中埜家文書にみる酢造りの歴史と文化』一〜五(中央公論社、一九九八年)。
(3)愛知県実業教育振興会編『愛知県特殊産業の由来』下(一九四二年、一九八一年東海地方史学協会より復刊)。


【プロフィール】
高部淑子(たかべとしこ)
一九六三年、兵庫県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。現在、日本福祉大学知多半島総合研究所助教授。専門は近世後期から明治前期にかけての文化史・経済史。共著に『中埜家文書にみる酢造りの歴史と文化』(中央公論社・一九九八年)などがある。

月刊酒文化 2002年 12月

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