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20世紀の酒文化

中世人と酒

貧乏徳利にみる江戸市中の酒

菅江真澄の記録にみる「酒」

近代日本における禁酒運動と柳田飲酒論

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明治・大正・昭和の清酒酒造業の技術導入 略年表

明治中期以降における酒造技術の平準化と 産地間競争の激化

北関東地方における清酒製造業の形成過程

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お雇い外国人の
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堺の酒小史

北関東地方における
 清酒製造業の形成過程


江戸時代における
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酒論稿集
酒の文化論
明治中期以降における酒造技術の平準化と産地間競争の激化
 品評会での成績は、全国における生産量のシェアにも影響した。図表5によると、 兵庫県は全国酒類品評会の開催以降にシェアを落 とし、一方で広島県や秋田県、岡山県など甘口酒を主とする新興産地が成長している。ただし、一九二〇年頃から兵庫県がわずかにシ ェアを取り戻し、その煽りを受けて新興産地のシェアが低下していることにも注目したい。なぜなら、この頃から旧先進地が全国と異な る基準によって、広島酒をモデルとする全国の動向と一線を画するからである。
まず、兵庫県は博覧会や東京酒問屋の品評会で多くの勲章を受けて復権した。全国酒類品評会では出品酒の品質のみで 成績が競われたが、一方の博覧会では、品質に加えて生産額ないし販売額、販路、価格、製造方法、設備、受賞経歴、業界 に対する功績が審査対象とされた(矢部・鹿又、一九二三、四八頁)。したがって、後者においては大規模業者の多い産地が有利であ った。あえてこうした不平等な審査方法が採用された理由は、博覧会の目的が産業奨励であり、近代化の模範を展示することに帰する (山下、一九一四、二頁)。この近代化とは、大規模化や機械化と読み替えられる。
一九二二年開催の平和記念東京博覧会は、一九一四年の東京大正博覧会における七四六万人を大幅に上回る一一〇三万人もの入場者 を集めるほどに盛況であったが、その中で兵庫県は全国で最高の九一・九%もの受賞率を得た。一方、全国酒類品評会で常に好成績を 収めていた広島県はわずか三八・五%の受賞率にとどまった(矢部・鹿又、一九二三、四七〜四八頁)。そして、この審査結果は東京 府広報に掲載された後、新聞社、各府県の事務所や役所、試験場、東京府内の市立学校、図書館、物産陳列所などに通達され、大きな 広告効果をもった(東京府庁、一九二四、四〇四頁)。こうして兵庫県は清酒製造業の近代化を象徴する産地として権威づけられた。
また、灘酒の主要な販売先である東京府では、下り酒問屋で組織される東京酒問屋組合の取扱量が一八八八(明治二一)年の四四万 六八五〇駄を最高として、一九二二(大正一一)年に一六万八三〇一駄まで激減していた(横地、一九四三、三四五〜三五〇頁)。この ため、兵庫県の酒造家は東京に直営店を出したり、東京府内の仲買商や問屋が主催する品評会で勲章を与えられたことで再評価され、 東京市場を確保した。
一方、関東地方では品評会の優良酒が回を重ねるごとに酒精分を増していることに着目し、あまり酒を飲めない消費者に向けた酒精 分の少ない超甘口酒を造って差別化を図った。超甘口酒はそれ自体に強い味と香りがあるため、杉樽による風味づけをあまり必要とせず、 生産コストを削減できる利点を有していた。大正一四酒造年度における清酒の酒精と糖分を比較すると、灘酒が一六・八%の二・三七、 広島酒が一七・三%の二・一一であるのに対し、関東酒は一六・五%の二・四八である。
 中でも、埼玉県は超甘口酒を良酒とする関東酒類品評会において、一九二三年に五四・四%、一九二五年に五七・六%と最も高い成 績を収めており、この点から産地全体による超甘口酒への統一化が最も進んでいたと推察される(8)。そして、埼玉県は一九二〇年以 降にわずかであるがシェアを伸ばしている。つまり、品質差別化による市場のブロック化は一時的に成功したと評価できる。

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