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貧乏徳利にみる江戸市中の酒

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地下三尺に眠る江戸の酒瓶

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北関東地方における
 清酒製造業の形成過程


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明地下三尺に眠る江戸の酒瓶
貧乏徳利の誕生
 こうした貧乏徳利の形の祖形は、実は中世後期から存在した。美濃・瀬戸地方の製品にみられる大・中と小の形・意匠の違いは、前代の瓶の種類の相違に起因している(右図)。また、備前の焼き締め徳利なども中世後期から生産されていることが窯の調査などによって明らかになっている。
 また、江戸で商取引容器として定着した元禄時代前後からしばらくの資料において散見されるのが、静岡県の大井川の畔にある志戸呂窯の吉右衛門徳利である(下図)。これは、口の辺りにのみ黒褐色の釉薬を施した焼き締め徳利で(おそらく唐津焼の瓶を模倣したのであろう)、大きさは一升サイズに限られるようである。志戸呂窯は、同じ時期、灯明用の専用皿を江戸に供給して、急速に江戸市場に進出してきた生産地である。この吉右衛門徳利も、こうした江戸市場向けに特化した商品のひとつであったのであろう。ひょっとすると、その名称に冠された吉右衛門その人が、こうした戦略の仕掛け人だったのではあるまいか?
 まもなく、こうした動向に対抗した瀬戸・美濃地方が、さらに小形のサイズを付け加えることで、貧乏徳利としての体裁を完成させた。この瀬戸・美濃地方は、中世末以降、東日本の陶器市場の中核を担ってきた中核的生産地であったが、江戸時代初期以降、食器市場に参入してきた肥前地方の磁器(伊万里焼)に、従来の市場を圧迫され、新たな市場開拓の必要に迫られていた。そこで、目をつけたのが、江戸での飲酒習慣の浸透で、新たに体裁を整えた専用商取引容器が「貧乏徳利」だったのである。このように、貧乏徳利を読み解くと、さまざまな側面から、都市の発達による社会構造の変化や流通の発達、そして、その中で浸透していった日常の飲酒習慣の姿が浮かび上がるのである。

【プロフィール】
長佐古真也(ながさこ・しんや)
東京都埋蔵文化財センター 主任調査研究員、学習院大学非常勤講師。
【引用参考文献】
神崎宣武 一九八二 『日本人の生活と文化4 暮らしの中の焼きもの』ぎょうせい
関口広次 一九七九 「美濃・高田徳利の生産と消費に関する覚え書き」『考古学研究』一〇〇
関口広次 一九九一 「徳利たんぽ考」『陶説』四五四号 日本陶磁協会
長佐古真也 一九九二 「近世「徳利」の緒様相」『江
戸の食文化』吉川弘文館
長佐古真也 一九九六 「出土陶磁器の様相からみる消費地・江戸」『考古学ジャーナル』三五六
美濃部達也 一九九六 「いわゆる「通い徳利」について」『百人町三丁目遺跡V』新宿区遺跡調査会

月刊酒文化  2003年11月

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