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20世紀の酒文化

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宮水の沿革(1)

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明治・大正・昭和の清酒酒造業の技術導入 略年表

明治中期以降における酒造技術の平準化と 産地間競争の激化

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北関東地方における
 清酒製造業の形成過程


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酒論稿集
酒の文化論
宮水の沿革
近代化が与えた影響
 宮水は狭い地域での海岸近くの井水である。明治中頃から、西宮港の浚渫が盛んに行われた。西宮の近代化のために必要だった。その工事は浜辺近くの井戸には海水がさし込み過ぎて、宮水として用をなさなくなってしまうことを意味する。また、次のようなことも関与した。明治30年代に入ると、板石道で車を使っての宮水の搬出ではなく、土管を道路に埋設して土管でもって港まで送り、港に水詰場なる施設を作って、そこで水樽に詰めた。これで宮水は港までの搬出が容易になり、宮水の汲み上げ量が増えていったことも、それを加速させた。
 その「土管伏設(埋設)認可」の武庫郡役所からの西宮町長への文書(明治34年9月5日付)が西宮市にのこされている。その付箋に「当町に於いて酒造期は醸造用として他町村に輸出する水樽(一樽に井水一斗二升入)は市中或井戸場より荷車を以って港湾荷役場に搬出し同所より船積となし(略)」と記載がある。ここで「水樽(一樽に井水一斗二升入)」とはっきりと書かれている。推測の域を出ないことだが、水詰場で水樽に宮水を詰めるようになった時に、現在残されている二斗入りのそれに改良されたのではないだろうか。
 明治期、西宮の酒造家は先進的な企業家意識に根ざした行動をとる。即ち、酒造家による銀行、酒造研究所の設立。酒造業の会社組織による運営。等々酒造業の近代化への先頭に西宮の酒造家たちは立っていたと言っても過言ではない。
 そのような雰囲気の中、宮水の搬出にも合理性を求めたのであろう。次回は明治末から昭和までの宮水の歴史を振り返ることとする。紙面が許すならば、宮水の年表も纏めてみたいと考えている。参考文献等は次回にまとめて掲載することとする。


【プロフィール】
寺岡 武彦(てらおかたけひこ)
1944年生まれ。
辰馬本家酒造株式会社に入社。
現白鹿記念酒造博物館勤務。近畿民具学会、日本酒造史学会会員。
著書「酒造業の産業政策」(森本隆夫・矢倉伸太郎編『転換期の日本酒メーカー』所収)

お酒の四季報 2003年春号

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