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20世紀の酒文化

中世人と酒

貧乏徳利にみる江戸市中の酒

菅江真澄の記録にみる「酒」

近代日本における禁酒運動と柳田飲酒論

宮水の沿革(1)

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江戸の地下式麹室

地下三尺に眠る江戸の酒瓶

明治・大正・昭和の清酒酒造業の技術導入 略年表

明治中期以降における酒造技術の平準化と 産地間競争の激化

北関東地方における清酒製造業の形成過程

合成清酒の物語

お雇い外国人の
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堺の酒小史

北関東地方における
 清酒製造業の形成過程


江戸時代における
 知多半島の醸造業の
 展開とその背景

酒論稿集
酒の文化論
貧乏徳利にみる江戸市中の酒
釘書きに見る酒の購買意識
 釘書きについては、既にいくつかの言及例があるが、小林謙一氏の論考が最も基本的で、かつ興味深い(小林一九八九)。この中で氏が指摘した釘書きの出土傾向は、左記の四つに要約できよう。
一、釘書きのある徳利を法量(大きさ)別に見ると、ほとんどの遺跡で二合半が最も多い。
二、いずれの遺跡も、最も出現頻度の高い特定の「マーク」が存在する。当該マークが全体の三〇〜五〇パーセントを占める場合が多い。港区・郵政省飯倉分館構内遺跡(麻布台一丁目遺跡、米沢藩上杉家上屋敷)においては「門長」がこれにあたり、二合半のみでみれば七〇%近くを占めている。東大本郷構内の遺跡理学部七号館地点(加賀藩前田家上屋敷)では主となるマークは三〇%程度で、次位を占めるマークに近似する。
三、最多マークが二合半に多く認められる遺跡と五合・一升に多く認められる遺跡がある。
四、最多マークは、二合半と五合・一升で一致することも多いが、異なる場合もある。たとえば、郵政省〜遺跡では二合半では「門長」、五合・一升では「三田や」が最多マークとなる。
 小林氏が例示した郵政省〜遺跡では、一八世紀前〜中葉頃は釘書きを施さないものが多く、文字を付したものがこれに次ぐ。徳利の数量が飛躍的に増加する一八世紀後葉以降、釘書きの施される比率も急激に増加し、九割以上の徳利に認められるようになる。同遺跡の最多マークである「門長」が出現するのもこの段階で、和暦では天明〜寛政頃にあたるこの時期に、江戸の酒の流通に大きな画期を読み取ることができる。また、もう一つの事例として、図表2に千代田区・丸の内三丁目遺跡(旧都庁跡地、徳島藩蜂須賀家上屋敷他)から検出された釘書きの集成表を引用しておこう。
 これらの傾向は、どのような酒流通の実態を反映しているのであろうか。最多マークを素直に理解すれば、最も頻繁に利用した小売酒屋ということになる。これが江戸後期のあらゆる階層の遺跡から出土する二合半徳利に認められるということは、「その日の酒のために、行きつけの店から少量ずつ頻繁に買い求めた」という購買形態がイメージできよう。当然、その小売酒屋は、遺跡に最も近接するか、近傍にあって安価に提供する店と判断するのがよかろう。
 一方、最多マーク以外の複数のマークに分散する傾向が認められる五合・一升徳利は、行きつけの酒屋とは異なる複数の店から求めていることになる。同じ商品を求めるのであれば、より近い、より安いなどの選択が働くであろう。したがって、この傾向は購入した酒自体の相違を示す可能性がある。前回紹介したように、五合・一升徳利の割合は、時期が古くなるほど、また、遺跡の経済的地位が高いほど多くなる傾向も認められることから、「品位の高い酒を、少し多目に購入するが、一つの種類の購入頻度は決して高くない」という、前記とは異なる購買形態が同時に存在した可能性が導き出される。こうした志向が上層消費者により強いとなれば、すなわち、ここには「銘酒のaき比べ」的色彩の強い意識を読み取ることが可能で、こうした需要に対応する店も、よりも広い商圏を持った「大店」がイメージできよう。
 少数マークの成因の一つには、他店の流用も考え得る。形が同一であれば、流用を繰り返して次第に拡散する現象は、現代のビール瓶にも認められるもので、一〜数本程度の検出例は、この可能性も疑うべきであろう。
 このように、一遺跡の中における釘書きの種類や頻度は、江戸市中における各階層の酒に関する購買意識や、これに対応する小売酒屋の多様性を読み解く史料となるのである。

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