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 一方、遺跡間の比較から特定の釘書きの地域分布を読み解くことは、個々の酒屋の商圏を窺うことになり、地域の商業史料としても貴重な情報を提供してくれるであろう。前述の小林氏の他に、美濃部達也氏が新宿区の近代期を中心に流通圏の復元を試みた事例がある(美濃部一九九六)が、その膨大かつ複雑な様相ゆえ、これを通史的に、また市中全体を視野に俯瞰する作業は未だ行われていないのが現状である。今回は、二つの釘書き例のみを紹介しておこう(図表3)。
 まずひとつは、文京区内の遺跡で散見される「高サキ」の事例である。鈴木裕子氏によって、この釘書きは、東大農学部正門前に近代まで続いた高崎屋という実在の大店に比定されている(鈴木一九九一)。その出土分布を見ると、約三〜五kmを隔てた遺跡からも出土している。
 「∧吉」の釘書きは、ヤマヨシもしくはヨシ○○屋という酒屋の屋号を記したものと推測されている(関口一九七九)が、一定量以上検出される事例を見ると、日枝神社境内遺跡、伯太藩上屋敷跡遺跡(渡辺家屋敷)、溜池遺跡と、千代田区永田町界隈の径三〇〇m程の限られた範囲に集中している。このうち、日枝神社境内遺跡においては主体的マークであるが、直近の溜池遺跡に於いては、最多マークではない。
 この周辺は、ほぼ武家地で占められていた地域であるが、日枝神社門前に小さな町地があり、ここに件の酒屋があったとすると、その釘書きの分布にちょうど見合うことになる。直線距離で見れば、日枝神社南側(現在の赤坂界隈)至近にも大きな町地が発達していたようであるが、当時は、この間(現在の外堀通り)の位置に溜池があり、徒歩で向かう場合は赤坂見附を迂回しなければならない。江戸時代後半頃には、この町地の有力商人の要請で溜池に渡しが認められ、これを契機に赤坂界隈の料亭が発達したという話を聞いたことがあるが、この町地の西側に隣接する紀尾井町遺跡や、徒歩ではそれほど距離的な差のない尾張藩麹町邸遺跡、さらには港区側の他遺跡では確認されていないことを考え合わせると、やはり「∧吉」の位置は外掘の内側に求めるべきであろう。ひとまず、日枝神社の門前にあって、周辺の武家や神社参拝者を相手の商いと理解しておくこととする。
 前述エリア外で、わずかに「∧吉」の確認された例としては、千代田区・隼町遺跡(日枝神社から約一km)、郵政省〜遺跡(同約一・五km)、丸の内三丁目遺跡(同約二km)、新宿区・内藤町遺跡(同約三km)があるが、いずれも遺跡の近隣と呼べる位置であろう。日枝神社参拝の土産に買い求めたのであろうか、または、他店の流用によるものか。ここから先は、想像の世界となるが、人の往来が目に浮かぶようでおもしろい。
 問屋や大店が並ぶ日本橋界隈のような商業地は別として、江戸市中の酒小売りの実態(経営規模・分布密度等)は、文献・絵図などを参照しても不詳な部分が多かった。考古学の目は、この点に関しても次第に明らかにしていくことであろう。

【プロフィール】
長佐古真也(ながさこ・しんや)
東京都埋蔵文化財センター 主任調査研究員、学習院大学非常勤講師。
【引用参考文献】
神崎宣武 一九八二 『日本人の生活と文化4 暮らしの中の焼きもの』ぎょうせい
関口広次 一九七九 「美濃・高田徳利の生産と消費に関する覚え書き」『考古学研究』一〇〇
関口広次 一九九一 「徳利たんぽ考」『陶説』四五四号 日本陶磁協会
長佐古真也 一九九二 「近世「徳利」の緒様相」『江
戸の食文化』吉川弘文館
長佐古真也 一九九六 「出土陶磁器の様相からみる消費地・江戸」『考古学ジャーナル』三五六
美濃部達也 一九九六 「いわゆる「通い徳利」について」『百人町三丁目遺跡V』新宿区遺跡調査会

月刊酒文化 2004年6月

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