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20世紀の酒文化

中世人と酒

貧乏徳利にみる江戸市中の酒

菅江真澄の記録にみる「酒」

近代日本における禁酒運動と柳田飲酒論

宮水の沿革(1)

宮水の沿革(2)

江戸の地下式麹室

地下三尺に眠る江戸の酒瓶

明治・大正・昭和の清酒酒造業の技術導入 略年表

明治中期以降における酒造技術の平準化と 産地間競争の激化

北関東地方における清酒製造業の形成過程

合成清酒の物語

お雇い外国人の
 醸した不思議な酒


堺の酒小史

北関東地方における
 清酒製造業の形成過程


江戸時代における
 知多半島の醸造業の
 展開とその背景

酒論稿集
酒の文化論
中世人と酒
(三)禁酒の風景
 酒をめぐっては、善悪いろいろの価値観があろうが、禁酒も選択肢のひとつである。鎌倉幕府は鎌倉中での沽酒醸造を禁止する法令を出しており、酒に関してはストイックな態度で臨んでいた。鎌倉は要害の地ではあるが、それだけに政治都市としては狭小であり、ひろびろとした山野をわがものとしていた武士たちにとっては、三方を山に囲まれて閉塞感があったにちがいない。飲酒に限らず、治安の悪化をまねきそうな要素を、幕府としては極力排しておきたかったのであろう。ただし効果があがらなかったことは、同様の法令が数回にわたって出されていることからもあきらかである。
 一方で、京都の朝廷は洛中の酒屋に課税することを試みており、この方針が室町幕府に受け継がれて、酒屋・土倉役は幕府の主要な収入源のひとつとなる。これと連動して、幕府権力による酒の製造・販売への介入が行われることになった。なかでも四代将軍足利義持(あしかがよしもち)が、応永二六(一四一九)年に北野天満宮に酒麹の専売権を与えたことはよく知られている。この政策は洛中に混乱をもたらしただけで、後代には受け継がれなかったが、酒麹に対する強力な統制が、酒生産の減少を招いたことが指摘されている(清水克行氏『室町社会の騒擾と秩序』吉川弘文館 二〇〇四年)。義持は、ほかにも禅宗寺院に対して禁酒令を発するなど、禁酒奨励への意欲をみせた将軍であった。息子で五代将軍となった義量(よしかず)の「大御酒」を心配し、近臣らに対して義量に酒を飲ませないよう命令したうえに、「大酒飲を止むべき」むねの連名の起請文を書かせたこともある(花営三代記)。それでいながら、義持自身はかなりの酒飲みだった。彼と同時代の貴族である中山定親(なかやまさだちか)の日記「薩戒記(さっかいき)」には、義持が後小松上皇のもとに参上するたびに、貴族らが呼び集められ、酒の相手をさせられたことがみえている。「大飲常のごとし」「大飲例のごとし」などの記述が頻出する。つきあう定親もたいへんで、二日酔いで亡父のための勤行ができなかったとか、今日は飲みたくないから仮病をつかって参上しなかったなどと書いている。朝廷・幕府ともに、飲酒には寛容であり、まったりとした日常が流れていたようである。宮中の儀式の最中に、式次第にのっとって天皇のお出ましを願ったところ、「ただいま御睡眠、終夜大飲の故なり」ということもあったし、内裏の連歌会ですっかりできあがった後に、上皇御所の音楽の催しに出席し、楽器を奏でるどころでなく、上皇の御前の座で寝てしまう豪傑もいたのである。
 あたりまえのことだが、酒を飲まなければ禁酒の必要もない。「何度も禁酒したことがある」という酒好きは多いはずである。禁酒もまた、酒の楽しみ方のひとつではないかと思わせるものに、東大寺の名僧宗性(そうしょう)による禁酒の誓いがある。

 敬白 一生涯ないし盡未来際断酒のこと
右、酒はこれ放逸の源、衆罪の基なり。しかるに生年十二歳の夏より、四十一歳の冬にいたるまで、愛して多く飲み、酔いて狂乱す。つらつらその犯すところの過を思うに、定めてその悪道の業をなす。先非をかえりみるごとに、深く後悔をいたす。今より以後、盡未来際、永くこれを禁断し、さらに受用するべからず(ただし、如法真実難治のときを除くなり)。願わくはこの善根をもって、願わくは今の功徳によって、現世久しく余算を持し、身に病看なくして仏法を学び、当生必ず兜率に詣で、慈尊に眼礼し、恵解を開かん。
                           仁治四年正月一日、これを始む。
                           権律師宗性 生年四十二

 宗性は教学研究の成果として膨大な編著物を遺したが、そのなかに「禁断悪事勤修善根誓状集」と名づけられたノートがある。題名のとおり、いろいろな悪事を絶つことを記した誓状を集めたもので、右の起請文もその一通である。一二歳から四一歳までさんざん酒を飲んだが、四二歳の年頭を期して禁酒するのだという。ただし、“どうしても我慢できないときを除く”という一文がちゃんとまぎれこませてある。宗性は「禁断悪事勤修善根誓状集」のなかで、ほかにもいろいろなことを誓っている。「亀王丸のほか愛童を儲くべからざること」(「男犯百人のほか、淫欲を行わざること(時に九五人なり)」というさらに恐ろしい一条もある)、「手ずから双六を打つべからざること」など、飲酒だけでなく、男色・博打にいたるまで、寺院の生活はなかなかにおおらかであった。神仏と親密だからこそできる、誓状の形式を借りた知的遊戯といえようか。禁酒もまた、人生の楽しみのひとつなのである。

【プロフィール】
本郷恵子(ほんごう・けいこ)
一九六〇年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京大学史料編纂所助教授。博士(文学)。専門は日本中世史。著書に『中世公家政権の研究』(東京大学出版会)『中世人の経済感覚』(NHKブックス)がある。

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