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アメリカの日本食ブームとサケ

グローバル化時代の清酒原料調達システム

戦前期朝鮮半島における邦人酒造業の地域的展開と特質

メード・イン・ジャパンの酒の魅力づくり

台湾で広がる吟醸酒

日本酒の国際化

国際化時代の日本酒
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日本の酒の国際化
台湾で広がる吟醸酒
古い日本酒市場との線引き
 もうひとつの課題は、日本酒の古い市場とどのように一線を画すかということになりましょう。
 一九九〇年代半ばに台湾が酒類の輸入を自由化したとき、日本酒が大量に入ったのは、旧植民地時代に清酒を飲むスタイルがつくら れていたことが大きいと言われます。戦前の教育を受けた方には、現在も日本語で読み書きができる方も珍しくありません。五〇年に およぶ日本の統治は、台湾に生活レベルでの日本を残しています。清酒もそのひとつであ り、現在もレギュラークラス日本酒の需要は、熱々の燗酒が常識で、料飲店ではぬるい燗を出すとクレームが殺到するといいます。
 こうした消費実態を踏まえて、若者や富裕層が好むおしゃれな日本酒のスタイルを広めることが、台湾での日本酒の普及の文化的な 意義でしょう。

日本が始めた専売制
 植民地時代の日本酒の名残を求めて埔里(プーリー)酒廠を訪ねました。埔里は台湾のちょうど真ん中に位置し、台北から直通の高速バスで三時 間三〇分ほどのところにあります。盆地で自然環境に恵まれ、パンフレットでは「美酒・ 名水・美女の産地(?)」と謳います。特に水は「台湾天下第一水愛蘭甘水」と高く評価され、台湾を代表するナチュラルミネラルウ ォーターの産地となっています。
埔里酒廠は街の中心部にあり、一九一七年(大正六年)に民間の酒造工場として設立さ れました。五年後の一九二二年に、日本が台湾の酒類製造・販売を専売制としたのに伴って、日本の台湾総督府の管轄下に入ります。 専売制以前の台湾の酒造業は零細で輸入酒に対抗できず、徐々に駆逐されつつありました。こうしたなか、日本政府は酒税の増収を意図 して、台湾の酒の製造と販売を専売制として国家の管理下に置いたのです。台湾の酒造業の近代化は日本の国家主導で進められたと言 え、また、近年まで続いた専売制はもともと日本が導入したものということになります。 そして、台湾の酒づくりの多様性もこの時に失われたとも言えましょう。
戦後は台湾政府が埔里酒廠を接収し、専売制下の主力工場として、米酒・白酒・清酒を製造しますが、一九五二年に紹興酒の試醸に 成功すると、この製造に傾斜、総統主催の国宴で用いられる紹興酒を産する工場として発展します。その後、一九九六年には台湾の酒 づくりの歴史を展示する「酒文物館」を開設、同工場が産する酒類を利用した物産センターを併設すると、毎月三万人以上の観光客が押 し寄せ、一大観光スポットになっています。
埔里は一九九九年に大規模な地震に見舞われました。台湾で阪神淡路大震災に匹敵する規模の地震があったことをご記憶の方もいら っしゃることと思います。同工場も甚大な被害を受けましたが、それからも立ち直り、現在は、台湾のWTOに加盟にともなう酒類の 製造・販売の自由化で、台湾たばこ酒株式有限会社埔里工場となっています。

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