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古き一升びんをたずねて
酒論稿集
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古き一升びんをたずねて
 ところで酒といえば、一升びんについて興味ぶかい体験をしたことがある。もう数年前になるであろうか、一二月末のある日の こと、わたしの地元、杉並区下井草に大きな屋敷を構える、元地主M氏のごみ捨て場を調べさせてもらう機会があった。以前から ケヤキの木々が鬱蒼と茂る裏庭にどうも、古いびんが眠っているような気がしてならなかったのである。というよりも、昔そ の庭で子供の頃によく仲間と遊んだ記憶があり、その郷愁に唆(そそのか)されたといった方がいいのかも知れな い。とにかく呆れ顔のその屋敷の主人に、わたしは正々堂々と「お宅の裏庭で古いびんを探させてください」と頼みこみ、 どうにか了解を得ることができた。そしてその屋敷の土蔵の裏手にたまたまトタン板で覆ったごみ捨て場を発見し、その 中から見慣れない一升びんを拾い上げたのであった。その他にも、そこには戦前のビールびんがごろごろしていたが、これは 予想外のことだけに嬉しかった。早速わたしはそのびんを自宅へ持ち帰り、風呂場で汚れを落としてみた。それは作りからすると、 かなり古いものに思われた。しかも何より感動したのは、そのびんの表面に、サンドプラスト(吹き付け加工)の文字で、「下井 草町・栗山酒店・貸壜」と、記されていたことである。
 この「下井草町」という表示の仕方は、戦後すぐに新たな住所表示が実施されるまで使われたもので、現在では「町」を除いた 「下井草」が正式の呼称なのである。また「貸壜」というのは、通称「通いびん」とも呼ばれ、明治中頃から昭和初めにかけて普 及していたもので、酒びんのみならず牛乳びんやラムネびんにも見られた、いわば店が顧客に貸し出していたびんのことであった。 すなわち、こうしたふたつの特徴は、現代ではもう無くなってしまったものなのである。
 さて、これからが本筋である。わたしは偶然にもこの栗山酒店が、今でも西武新宿線の下井草駅からさほど遠くない旧早稲田通 り沿いに、立派に営業を続けていることを知ったのである。これは近所の人からの情報であったが、それを聞いた瞬間は、さすが に胸の熱くなるような思いであった。ぜひその店を訪ねてみよう、そしてこの一升びんにまつわるエピソードを聞かせて貰おう、き っと面白い話が聞けるにちがいない、そう思っただけでも、心は期待で高鳴るのであった。そしてそれから間もなくして、その店 を訪れたのである。
 バス通りを暫く歩くと、すぐに「栗山酒店」と記された照明看板が、目に飛びこんできた。思えばその前を幾度となく通り過ぎ ていたのに、まったく気づかずにいたのである。おそるおそる店の中へ入ると、小作りの老婦人が店番をしていた。「いらっしゃ い」と今も矍鑠(かくしゃく)として働いている。そこでわたしは丁寧に挨拶をした後、持参した一升びんを見せたのであった。 そのときの懐かしそうな表情は、いまだに忘れることができない。「へえー、こんなびんがありましたか。それもMさんのお 宅にねえー」こう言い終わると、婦人は暫く沈黙し、それからゆっくりと思い出を語り始めた。それはおおよそこんな内容 のものであった。
 店は大正六年に創業したのだが、本来はこの婦人好以(よしい)さんの父親である、明治二四年生ま れの栗山勝五郎が、油屋として始めたものであった。それが昭和 二年の西武新宿線の開通によって電気が普及したことから、ラン プのとぼし油が売れなくなり、それをきっかけに、本格的に酒を 扱うようになった。当時店の周辺には一般の人家はほとんどなく、 数件の農家が散らばるばかりで、そこへそれぞれ酒や焼酎などを 納めていたらしい。なにせまわりは田圃と畑と林ばかりで、舗装 された今のバス通りも砂利道であり、時折牛車が往来するという、 そんな時代であった。 そしてわたしの見つけたびんは、その頃のものだったのである。 当初は店が狭いので暫く地主M氏の土蔵を借りていたことから、おそらくびんもそのときに紛れこんだものらしい。好以さんは今 でも、父親が荷車にかめやびんを載せて運んだ姿を覚えているという。店内には注ぎ口のついた焼酎用の一斗瓶(かめ) や酒用四斗瓶(かめ)が並べられ、一合マスや五合マスで量り売りされていた。そして顧客は件くだん の「貸壜」を携えて、酒を買いにきていたのである。
「わたしの父がこしらえた懐かしいびんですよ」好以さんはぽつりとそう呟いた。「あの頃わたしは下井草駅近くにあった桃井 第一小学校の分教場へ通っていましたが、この辺は長閑(のどか)でしたね。
 畦道を四つ葉のクローバーを摘みながら登校しましたが、晴れた日は富士山がくっきり見えましてね、とてもきれいでしたよ。今 は建物が密集して何も見えませんね。あれからもう何年になりますか、父は六五歳で亡くなりましたから、かれこれ四五年も前に なるんですね」
 好以さんの言葉にしみじみと耳を傾けた後、わたしはまた丁寧に一礼すると、夕暮れの通りに出たのであった。そしてこの老婦 人に会えたこと、またその縁(えにし)になった一升びんに出会えたことを感謝したのである。

【プロフィール】
庄司 太一(しょうじ たいち)
一九四八年仙台生まれ、東京育ち。上智大学文学部大学院修了。アメリカ留学と同時にボトルディギング(びん掘り)の魅力にとりつかれ、帰国後、びんの収集に没頭。現在、武蔵大学で教鞭を執る。ボトルシアター館長。

お酒の四季報 2001年春号

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