時代や文化とリンクしたお酒に関する旬の情報サイト
酒文化研究所ホームページ
会社概要酒文化の会メールマガジンContact UsTOP
イベント情報酒と文化コラム酒文研おすすめのお店酒文化論稿集酒飲みのミカタ特ダネ
海外の酒めぐり日本各地の酒文化見学できる工場・ミュージアム酒のデータボックスアジア酒街道を行くリンク集

 
<論稿集トップへ

30代を迎える団塊Jr世代の酒

シニアにさしかかる団塊世代の酒

日本酒の味の客観的評価

酒マニアな人々への道程

酒米生産の現状と課題

おいしいカクテルをお出しするために

日本の酒税が歩んできた道

シングル化がもたらす飲酒風景

サトウキビから生まれた魅惑のお酒

変わる食卓・消えた晩酌

三井物産の清酒界進出

幕末サムライ使節の洋食・酒体験

日本酒を自家貯蔵する愉しみ

お酒で身体はどう変わるのか

「おつまみ」の日米交流
  意外史(3)あられ


「おつまみ」の日米交流
  意外史(2)枝豆


「おつまみ」の日米交流
  意外史(1)ポテトチップ


古き一升びんをたずねて
酒論稿集
その他
日本の酒税が歩んできた道
明治・大正期も酒税が主財源
 明治時代になると酒株は廃止され、近代的な酒税法が制定されます(図表2)。
 明治8年の酒類税則では、酒造営業税(1期10円)、酒精請売営業税(1期5円)、さらに醸造税(酒類売り捌き代金の1割)が課されました。この課税の対象酒類は、清酒、濁酒、味醂などで、揺籃期にあったビールに醸造税はかかりませんでした。
 3年後の明治11年には従価税だった醸造税は、造石税(従量税)に変更になります。このとき酒の種類によって税率に差がつけられます。一石あたり清酒は1円、焼酎は1.5円でした。さらに明治13年には酒造免許税と酒造造石税の2つに整理され、醸造酒、蒸留酒のほかに再製酒(味醂など)の区分ができます。まだこの頃の区分はシンプルでわかりやすいものでした。
 ところで、こうした酒税制度の整備は、明治政府による税制全体の改革のなかで進められたものです。維新後、政府は租税を整理し、安定した財源をもとめて地租改正を推進します。土地を評価し、耕作者ではなく土地の所有者から、評価額に応じた地租を貨幣で徴収するように改めました。そして、いち早く工業化した酒造業への課税を強化します。課税率は年々引き上げられ、国税に占める酒税の割合は1気に上昇します。明治6年には1.5%にすぎなかったものが、明治8年には4.3%、明治10年に6.4%、明治15年にはなんと24.1%に達します。このとき、酒造家に減税運動を展開するものがあり、京都で酒屋会議が開かれたことはよく知られています。
 しかし反対運動が税制を動かすことはありませんでした。課税はその後も強化され、日清戦争と日露戦争の間にあたる明治30年代には、酒税収入が国税の30%〜40%を占めるようになります。その後は、構成比は下がっていきますが、昭和60年頃まで酒税が減税されることはほとんどありませんでした。

新しい酒の続出とそれらへの課税
 明治後期になると新しく広がり始めた酒類への課税が本格化します。明治29年に酒造税法が制定され、清酒.味醂など、焼酎、混成酒の3区分が設けられます。混成酒は酒類を混合して製造する飲料とされています。神谷傳兵衛が再製ぶどう酒を「蜂印香竄(こうざん)葡萄酒」という商標で販売し始めたのが明治19年ですから、この頃には無視できないボリュームになっていたのでしょう。そして明治34年には混成酒に変わって、「酒精含有飲料」という区分が登場します。直感的にチューハイのもとはこれだったかという印象を受ける言葉です。
 また、この年からビールへの課税が始まります。なお、その2年前の明治32年には、自家醸造が一切禁止され、「(酒税を払って)酒は買うもの」となります。
 ここから昭和10年頃までは、増税が度重なるものの基本的なフレームは変わりません。そして、その後から1気に戦時統制色を強め、大幅な増税が続きます。まず昭和13年に酒類販売が免許制になり、酒類は小売流通まで統制されるようになります。続いて昭和15年に造石税のほかに蔵出税が掛けられ、さらに戦時下の昭和18年には級別制度が導入され、課税額は3倍〜8倍に跳ね上がります。
 そして昭和20年以降は、消費量が増加しているものは担税力があるとみなされ、高税率が課されます。さらに酒税率は酒類ごとに、消費動向以外に、中小企業の保護育成、原料となる農産物の生産体制の配慮、主ユーザーの所得水準などを加味して決めたと言います。このような複雑な手続きは不透明になりがちで、現在の酒税制度に対する批判の元のひとつと言えましょう。

<<前頁へ      次頁へ>>