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シニアにさしかかる団塊世代の酒
給料が高くなるにつれウイスキーのブランドが上がった
 昭和23年、東京都江東区の深川生まれ。祖父の代から材木問屋だったが、M氏はサラリーマン。妻と娘、母の4人暮らし。
 お酒を飲み始めたのは遅かった。大学4年だから23歳。飲む機会があまりなかったからかなあ。それとも、親父が材木屋で、酒の飲み方が中途半端ではなかったのを見ていたから、なんとなく嫌だったのかもしれない。でも飲むきっかけは、親父にお前ももうすぐ社会人になるからと、門前仲町の「魚三」という飲み屋に連れて行かれ、日本酒の4合徳利を飲んで、おいしいと思ったこと。やはり血筋なのか、それから好きになった。
 日本橋の会社に入ってからは、週に何度も銀座の安い店、ちょっと腰かけるような椅子の店に通った。飲んだのはウイスキーの水割りでサントリーの「レッド」。給料日などで豪華にやれる日は「ブラック&ホワイト」だった。給料が高くなるにつれ、ウイスキーのブランドが「レッド」から「オールド」へ、「カティーサーク」や「ジョニ赤」から「ジョニ黒」へとランクアップした。酒税が変わって、洋酒が安く手に入るようになってからは「バランタイン12年」なども飲むようになった。バーボンが流行っていた頃は「フォアローゼス」、「ジャックダニエル」を飲んだ。外で飲む時は、ウイスキーのあとは日本酒だった。
 昭和50年代、神田に「原酒大関」という店があり、原酒のビンを注文し、氷を入れて飲んでいた。それが当時のお気に入りだった。
 結婚したのは昭和51年。結婚前は家では飲まなかったが、結婚後は自宅でも飲むようになった。当時はビールに始まり、サントリーの「ホワイト」か「レッド」の水割りだった。「純」や「トライアングル」のような焼酎には見向きもしなかった。むしろ、匂いのあるほうを好み、「いいちこ」、「吉四六」を店では飲んでいた。沖縄で「泡盛」を飲み、そのおいしさが忘れられず、少しでも近いものをと「さつま白波25度」を飲む。
 いまは「麒麟淡麗」500ml缶を2缶、日本酒2合を月曜以外は毎日晩酌。肝臓の検査にひっかかってもやめられない。ビールは「スーパードライ」を発売後ずっと飲んできたが、いまは「麒麟淡麗」がおいしいので、それ以外は飲まない。日本酒は辛口が好きで、「男山」、「高清水」をよく飲む。「大関」、「日本盛」は甘くてもう飲めない。妻は以前は日本酒の匂いが嫌だと言っていたが、いまでは一緒に飲み、強い。たまには娘も一緒に飲み、これがうれしい。娘は「氷結」みたいな飲みやすいものが好きらしい。
 今後もこのパターンは続くと思う。これからは日本酒をじっくり飲みたい。ウイスキーはおいしくないと感じたから止めたが、外国映画であったように、寝る前にゆったりした雰囲気で飲めればいいな、と憧れみたいなものもある。でもやっぱり日本酒だろうね。

女性同士では、飲みに行けなかった
 K子さんは昭和22年、東京都板橋区で生まれた。高校を卒業後、会社勤めをしたが、最初のうちは門限もあったし、お酒を外で飲むようなことはなかったという。
 当時の飲み屋はいまのように女性には開放的ではなかったのよ。男の人と一緒でなければ入れない感じで、女同士で飲みに行くことはできなかった。会社の女性と飲みに行きだしたのは25歳くらいからで、昭和47、8年頃。新宿に「ひつじや」という紹介者がなければ入れないメンバーズクラブがあって、月1回は通っていた。お任せメニューで、お酒代も入れて1人5000円は出した。高いけど、女性ばかりで飲むには安心だった。飲むのはウイスキーの水割りで、だるまと言っていたサントリーの「オールド」ばかり。「リザーブ」を飲みたかったが、高くて無理だった。
 一杯飲み屋みたいなところには、当時付き合っていた男性と行った。飲むのはウイスキーの水割り。日本酒は匂いが嫌だったし、のんべえのイメージがあり、いまのようにおいしい酒はなかった。
 29歳で結婚したが、夫は酒が飲めない人だった。舅たちとの同居でひたすら良い嫁をし、子育てに専念していたので、自宅ではお酒はまったく飲まなかった。舅がうわばみで、お燗のつけ方まで文句をいう人だったから、同居の10年間、お酒は大嫌いだった。でも長男が幼稚園の頃、近所のおかあさん達に誘われて、月1回飲み会をしていた。子どもを寝かしつけてから、おかず1品持ち寄って、夜中に集まるの。大容量の焼酎と、炭酸水やオレンジジュースなどの紙パックがあって、それで割って飲んだんだけどすごくおいしかったのを覚えている。浅草の土地だったから、自営の人も多く、ストレス解消には役立った。焼酎を飲んでいたのは、やはりお金を心配しながら飲んでいたからだと思う。奥さん連中は小遣いがそんなにないもの。
 夫婦と子ども2人だけの生活になってから、アルバイトを始め、その会社の人達とよく飲みに行っていた。昭和60年代だから、ビール、サワーが多かった。
 いまは友人と飲みに行く時はまずビール、次に冷酒。口当たりのいい、おいしい日本酒が出始めてから、ずっとこのパターン。銘柄は決まっていない。おいしそうなビンを見て選ぶ。洋食屋に行っても冷酒を注文する。ワインは知識がなく、よくわからないからあまり飲まない。家では、缶ビールを必ず冷蔵庫に冷やしてある。最近は発泡酒。安いから。土日には夫、息子、私が350ml缶を各1本飲む。平日、プールに行った日は飲まないようにしている。太るのを気にしている。
 今後も楽しいお酒を飲みたい。夫はほとんど飲めないが、友達や姉妹などの身内と飲んでいると思う。体を丈夫にしておかなくては。


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