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銀の酒器

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古代ギリシアの酒器

ラインの石器と
  ひげ徳利


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酒論稿集
酒器論稿
ライン石器とひげ徳利
三 ベラーミン・ジャグのこと
 このライン流域で焼成された有鬚男の浮彫りのあるジャグをイギリスでは「ベラーミン・ジャグ」と呼んでいる。これはヨ ーロッパの宗教戦争のころ新教徒を激しく非難したローマン・カトリックの枢機卿ロベルト・ベラルミーノの顔がこのジャグ の有鬚の老人の顔に似ていることから彼を皮肉り、侮辱的な意味をこめてそう呼んだと伝えられる。彼は一六〇五年イギリス 国王ジェームス一世の火薬事件以来プロテスタントに強く対抗し、カトリック教会の弁護に力を尽くした男で、個人的にはロ ーマ教皇庁の枢機卿であったにもかかわらず天文学者ガリレオの地動説に共鳴し、ガリレオを温かく迎えるなど科学に深い関 心を示していた。彼の容姿は一五九四年ローマを訪れたアイネス・モリソンによれば「彼は貧弱な体つきで、顔は長く、顎にとがった 鬚がある……」と記されている。しかし当時教会には顎鬚(あごひげ)をたくわえた司教、僧侶が多かったことか らこれらの鬚をはやした人を「司教の鬚」と渾名(あだな)していた。しかも有鬚男の顔のジャグはベラルミーノ が生まれるよりはるか以前からライン地方で製作され、それらが少なからずイギリスに輸出されていたことからこれをベ ラーミンの顔に似せて作ったとする解釈は明らかに誤りである。にもかかわらず、少なくともイギリスに関して言えば、彼 と同時代の戯作者、詩人のベン・ジョンソン、少し下ってカートライト、トーマス・ダルフェイラはすでにこの有鬚男の大 きな酒瓶をベラーミンの名で呼んでいる。たとえばカートライトの戯曲「定食食堂」(一六五一年)には、「……汝の腹はあ たかも汝の森のような濃い鬚で覆いかくす気取った丘に似てまた人がベラーミンと呼ぶ大きな徳利に似て……」と歌われて いる。これらの古い文献が論拠となってイギリスでは今日でもこの種のひげ徳利をベラーミン・ジャグと呼んでいる。

四 ひげ徳利と日本
 加藤唐九郎編「原色陶器大辞典」(淡交社・昭和四七年)の「ひげどっくり」の項に、「王面ともいう。享保(一七一六?三 六年)頃の古写本に『唐物なるが徳利に人の面を置上げ形付けたる物』、『嶋物にして王の面が地紋に彫付けあり』とあり、首 の部分に鬚のある人面を薄肉にて貼り付け、藍色の食塩釉が文様の上を流れている。首と腹に貼り付けられた文様の形状と大 きさに相違がある。江戸時代に輸入され、讃窯道八、対州志賀焼、平賀源内、木米らがこれを写した。その創製地についてオ ランダ、イギリス、ドイツなど種々の説がある」と記されている。わたくしは以前文部省の科学研究助成金を得て日本に舶来 されているひげ徳利について調査したことがあった。調査は名古屋以西の公・私立の博物館美術館、民芸館等に調査書を送 り、また個人収集家の返事を受け取った。その結果は約八〇点に近いひげ徳利のあることが明らかとなった。その資料から後 日近畿、四国、九州のコレクションを訪ねたが、その多くは一七世紀以後のライン系ならびに一八世紀以後のイギリスのもの であった。この調査でじつは平賀源内がこれを焼いたということは誤りであることが明らかとなった。源内焼の香川県志度町 は海岸に近く土は粒子が粗く徳利や壺など液体を容れるのには不適当である。源内がこれを模作したとする記述は多分源内 がさまざまな西洋の文物に関心を示したことからひげ徳利も彼が作ったという伝説を生んだものと解される。志度の平賀源内 記念館に陳列されている源内焼は大皿や小皿、鉢などであるまた対州志賀焼についても現存する作例は見あたらず、以前博 多の北九州県立博物館の学芸員にこのことを訊ねたがそのようなことはまったく識らないとのことであった。一方ラインのひ げ徳利がすでに江戸時代にかなり輸入されていた。このことは大名家などの茶会席に使われていたことが幾つかの茶会記に記 されている。
 かく申すわたくしも数点のひげ徳利を収集している。そのうち二点はヨーロッパに赴いた際に乏しい旅費から購入したもの で、一点は鮫肌のライン下流地域のもの、他の一点は僅か一〇糎ほどの小振り、口縁部が一部毀損しているが肌はライン系の 茶褐色、浮彫りの鬚男の仕上げが良好で、実用性とは別に多分陶工が個人的な理由で製作したものと思われる。
 そして他の二点はいずれも日本で真似て作られた唐九郎の辞典に記されているひげ徳利である。その一点は讃窯道八の押印 のある備前の土で焼いた高さ九・八糎の小振りのひげ徳利で以前東京の道具屋さんから購入したものである。真田紐をかけ たやや黒ずんだ桐の共箱には「初代道八造備前窯鬚徳利」と筆書きされている。その後調べたところ初代道八は眉唾で、讃 岐高松藩主松平頼恕候に招かれたのは二代目道八である。この徳利は胴部の正面に小さなメダイヨンを貼り、その中に鬚男を 右向きのプロフィールに浮彫りにされており、その浮彫りはまるで細密画家が描いたように詳細に刻まれている。もちろんわ たくしは道八のひげ徳利をこれまでに見たことがないので、もしかすれば後世の似作かとの疑いと不安をつのらせていたが たまたま数年前にドイツのハンブルクの工芸博物館を訪ねた際に、わたくしのとそっくりの道八の「ふり出し」が陳列されて いるのを見て疑いは晴れた。ハンブルクにある器は同じ備前の土で、肌合い、大きさもほとんど同じで、違うのは後に把手が ないこととメダイヨンの中の人物には鬚がなく正面を向き首にロザリオをつけている点であるこの二つの人物の顔はいずれも ヨーロッパ人の顔で、道八のひげ徳利の顔は右向き、その姿は江戸時代の蘭学医、例えば大槻玄沢が石川大浪に描かせた西洋 医学の祖ギリシアのヒポクラテスの像が完全な右向きの姿で、その後に描かれたヒポクラテスの像がすべて右向きであること から道八は西洋人の顔はあまり見たこともないので蘭学医の床の間に掲げられていた像を参考にしたのかも知れない。もう一 点は江戸末期京都の茶陶作家青木木米のひげ徳利で、彼は仁清、乾山と並んで日本の三大陶工の一人、それにしてはあまりにも 稚拙な灰釉のひげ徳利である。正面胴部に貼られた顔はまるで豚のようで、大きく開いた口に前歯が二本刻まれている。こん な木米があるかと言いたいが底部の近くにはれっきとした木米の落款が刻まれている。その下に車輪か花の文様、本花のライ ン石器のひげ徳利とはまったく似て非なるものである。おそらくこれは木米の遊び心から作られたものとしか考えられない。 このわたくしの持つもの以外に日本で作られたライン石器に近い作例も九州辺りに数点残されている。灰釉のそれらは民陶 と言える素朴なもので、立派な鬚を生やした人物はイエス・キリストの顔とも考えられる。それこそ「隠れキリシタン」によ って信仰されたものでないか、次に長崎方面に行く機会があれば是非調べたいと願っている。
 なお、遅ればせながら、一六世紀から一七世紀にかけて焼成された口縁部の広い器はビールを飲む時のもので、一七世紀後半から一八世紀にかけての口の 細い器はビールはもちろん、ワインや油、酢などの広い意味での液体を容れる器として用いられていたらしい。


【プロフィール】
前田正明(まえだまさあき)
武蔵野美術大学・名誉教授、日 本・ギリシア協会理事、美術評論 家。著書に『西洋陶磁物語』『ヨ ーロッパ陶磁名品図鑑』(講談社)、 『タイルの美 西洋編』(TOTO 出版)、その他西洋陶磁器関係の 著書多数。

お酒の四季報 2001年冬号

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