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銀の酒器

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酒論稿集
酒器論稿
銀の酒器
【リキュールカップ】
 これは1850年に帝政ロシアで作られた品です。リキュールカップは左写真のように、銀の枠に直径2cm程度のごく小さなグラスをはめ込んだものが一般的です。そのほとんどが、欧州大陸の諸国の品で、欧州一の銀の国である英国製は多くありません。果実リキュールを楽しむという習慣があまり広がらなかったからだと思われます。
 ロシアの銀器は、その意匠に独特の個性があって、革命前の品の中には素晴らしいものが散見されます。中でもロマノフ王朝直属の工房は、当時全欧州にあっても、最高水準の品々を生み出したことで知られています。
 壁の崩壊後、本来ならば美術館に収まっているはずのそうした品々が、ロンドンのオークションハウスに並ぶのを何度か目にしました。一体、誰がどうやってそれらの品を持ち出したのか。業者仲間から様々な噂を耳にして、体制の混乱ぶりを知りました。今もそうした流れは続いているようで、マフィアという言葉がささやかれます。

【フラスク】
 こんな銀器を尻ポケットに突っ込んで、ふらりと旅に出てみたい。車窓を流れるスコットランドの緑を眺めながら、フラスクからシングルモルトを一杯注ぐ。文字通りヒップフラスクとも呼ばれ、蓋を杯にして飲むように作られていて、皮製のケース入りのことも。ウィスキー、ブランデー、更にはジン。いわゆるスピリットを携帯するための容器です。
 家の紋章と持ち主のイニシャルが刻まれた品が多くあり、祖父から父へ、父から子へと受け継がれることも珍しくなかったようです。灼熱の砂漠から熱帯の密林まで、どんな場所に行こうとも、このフラスクを手にすることで、冒険心にあふれた先祖のブリテン魂を思い出す。まさに「男の銀器」そのものです(右の写真)。

【ドリンキング・ホーン】
 「角杯(つのさかずき)」とでも訳すべきでしょうか。強さを象徴する雄牛の角が使われた例が多く、飲み口の部分と支える脚、それに尻尾に当たる部分は装飾された銀で作られます。写真の品は一八一六年のスウェーデン製で、中世の角杯を復刻する形で作られたものです。脚は猛禽である鷲の足をあらわしています。
 英国でも古くは、クリスマスから十二夜(一月六日)に掛けての騎士の宴席で、エールやワインに砂糖や香辛料、さらに焼きリンゴを入れて香りをかもしたものを飲む習慣がありました。そこに列席した騎士の手から手へとこの角杯が回されて、一つの杯の酒を分かち合うことで、改めてその団結を誓うという、儀式用の酒杯です。西欧中世の騎士道を象徴する銀器と言ってもいいでしょう。
 このように、一つの杯で同じ酒を回し飲みすることで一同の団結を図るというのは、教区教会や諸商工ギルド(特権的同業者組合)の儀式でも、同様の行為が行われていたようです。当然のことながら、こうした儀式用の銀杯は、教会にとっても各ギルドにとっても、最も大切な宝物の一つとして取り扱われてきた歴史があります。
 ここで注目されるのは、こうした儀式に使われる杯が、必ずといっていいほど、銀で作られたものであるということです。古来「神と人」そして「人と人」を結ぶ絆を確かめるときには、お酒と銀器がその媒介の役割を果たしてきたと言えそうです。

【おわりに】
 日本ではあまり注目されることない銀の酒器。少しはその魅力がおわかり頂けたでしょうか。
 骨董銀器は何も高額な品物ばかりではありません。ここに紹介した品々も、その多くは普通の人が購入できる価格です。冒頭で述べたように、骨董銀器の楽しみは、なんといっても、それを実際に使ってみることにあります。それで初めて、一つの世界が見えてくる、そう断言できます。お酒の味が変わること請け合いです。どうぞ読者の皆様も、お試しになってみて下さい。

【プロフィール】
大原 千晴(おおはら・ちはる)
骨董銀器商。1978年、早稲田大学法学部卒業。著書に『食卓のアンティークシルバー』(文化出版局)がある。1991年「英国骨董おおはら」を東京南青山で開業。

お酒の四季報 2001年夏号

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