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銀の酒器

イギリス近世の酒器

古代ギリシアの酒器

ラインの石器と
  ひげ徳利


日本酒のうつわ No.1
 
日本酒のうつわ No.2
 
日本酒のうつわ No.3
 
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酒論稿集
酒器論稿
イギリス近世の酒器
2 多様な容器
 前号のドイツのライン石器の挿図に16世紀のドイツの画家ピーター・ブリューゲルの「百姓の踊り」と題する絵を掲げた。この絵の中に百姓たちがテーブルを囲んでビールを飲んでいる姿が描かれており、その中央には酔った若者の手に把手が四つもついたマグが描かれている。中世末期から近世にかけてイギリスで人気のあったのがティグ(tyg)である。その製作地は広くイギリス中部のヨーク州、陶郷で知られるスタッフォードシャー、それにロンドンの南部のサーリー州、ケント州などでも製作されていたことが知られている。ティグは多把手の飲酒用のジャグで、民衆はこれで、エール酒やビール、小さい杯ではワインを飲んでいた。ティグはその形からもともとはエール酒やビールを仲間と回し飲みをするために作られたものであろう。しかし、現存する器には把手が二つ並んでつけられているもの、四方に四つあるもの、さらに16〜17世紀のものには四つの把手が二段となり、計八つがついたものがあり、例外的には把手が一二もあるもの(大英博物館)もある。把手もせいぜい三つか四つ、それ以上のものは単に装飾的目的、もしくは陶工の遊びとして作られたものであろう。
 じつはこのティグの多くは日本の天目茶碗のように杯全体が真っ黒もしくは少し灰色味を帯びた無装飾のものが大多数を占めている。その色は日本で言う天目釉を想わせる。もちろん、器形は異なるが、天目茶碗はもともと中国の浙江省天目山の仏寺の什器を模して作られたもの、あるいは福建省の建窯で焼かれたものとの二つの解釈があり、このティグも1540年に廃拠となったヨークシャー州のシトー派の寺跡から鉄釉をかけた黒陶が多量に発見され、これらがその発見場所の寺の名に因んで広く「シスターシャン・ウェア」の名で知られるようになった。もちろん両者には何ら関係はないが、いずれも寺院、僧院で用いられていた黒陶の杯であるところから、たとえ東洋と西洋という分別を超えて、私はこれで濃い茶やエール酒を飲んでいた墨染めの衣を着た僧侶たちを想像するだけで共通する何かを感じる。このティグ以外にも17世紀のスタッフォードシャーで焼成されたものに黒地もしくは飴色に白や黄色で彩色されたものが少なからず残されている。
 ロンドンから北のリバプールへ向かう急行列車で約一時間、イギリス中央部のスタッフォードシャーのストーク・オン・トレントは中世以来イギリス最大の窯場として今でもウェッジウッド社、ロイヤル・ダルトン社、スポウド社らイギリスを代表する名窯の工場が集中している。その中心部ストーク・オン・トレントのヘンレー市立美術館の二階はこの地方で古くから焼かれて来た貴重な陶器が数千点収集陳列されている。その中でも質量共に最大を誇るのが中世以来の伝統を受け継ぐ素朴な鉛釉によるスリップウェア(slipware)である。スリップウェアとは普通器の表面をクリーム状に水で溶かしたスリップ(slip・泥漿)で装飾した器のことを言い、広い意味では先史古代の彩文土器も含まれる。17世紀18世紀に著しい開花をみたイギリスのスリップウェアはスリップ・トレーラーという先端が細くなった鵞ペンのような筒状の筆にクリーム状のスリップを入れ、これをしぼり出しながら器の表面を装飾する方法である。酒器ではないがその最も代表的なものが獅子や一角獣、ペリカンや人魚を直径40糎以上の大きな皿に漫画風な剽軽なタッチで描いたトーマス・トフトとその一派の絵皿である。これらの作品はほとんど美術館、博物館に収集されているが、日本で学んだ20世紀最大の陶芸家バーナード・リーチと一緒にイギリスに渡ってセント・アイブスに窯を築き、トフト皿のようなスリップウェアの皿を焼成した益子の浜田庄司(いずれも故人)らによってスリップの絵皿が再現されている。
 以上、これまでスリップウェアについて述べて来たのはスタッフォードシャーでは古くからの土地の伝統としてスリップウェアの装飾のある器が圧倒的に多いことで、先に述べたティグにもスリップ装飾の器が数多く見られる。またティグには大小さまざまなサイズがあるが、イギリス近世にはそのティグ以外にポジット・ポット(posset pot)と呼ばれる酒杯がある。
 ポジット・ポットとは酒に温めた牛乳や砂糖、香料を入れた飲み物用の双把手のポットのことで、器形の特徴としては口縁部の直径より高さが低いこと、胴部はマグと同様に筒形、それに左右にやや小振りの把手が加えられていることである。その形は今日のマグ・タイプのミルク・マグに似ているが、双把手であるという点ではチョコレート・カップにも似ている。ただし、受け皿はない。そしてもう一つ、ポジット・ポットはティグと違って地は明るい黄褐色、そして杯全体に赤褐色や黒色で草花や箴言めいた句や人物がスリップで描かれている。これらの多くはストーク・オン・トレントのヘンレー市立美術館やロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に数多く陳列されている。
 じつを申して、私はこれまで美術館、博物館、窯場の調査などイギリスには何度も足を運んでいるが、ポジット酒というのを飲んだことも見たこともない。温めた牛乳にリキュールを入れるのか、リキュールを入れたあと温めた牛乳を注ぐのか、一度試飲してみたいものだ。ホップの入らないエール酒は一度飲んだが、その味はまろやかさがなく、私はあまり好きではない。

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