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銀の酒器

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酒論稿集
酒器論稿
イギリス近世の酒器
3 トビー・ジャグのこと
 ロンドンや郊外の小さな大衆的なパブに行くと、たまにカウンターの奧の棚に三葉形の黒い帽子をかぶり、片手にマグかグラスを持って椅子に腰をかけた長髪の中年男の小彫像が置かれていることがある。イギリスの酒飲みに圧倒的人気の、いわゆる「トビー・ジャグ」(Toby jug)である。このトビーという名は古く文豪シェクスピアの「十二夜」の中に登場するサー・トビー・ベルフという酔っぱらいの人物とも語られているが、他では一八世紀のヨークシャー州のヘンリー・エルウスという実在の人物で、渾名をトビー・フィルポットと呼んだらしい。彼は1761年に死去するまでに毎日五パイント(約5.85リットル)のエール酒を60年飲み続け、生涯約2000ガロン(約9092リットル)のエール酒を消費した大酒豪であったとも伝えられる。そして1760年代のはじめ、その彼の愚かしい生き方をフランシス・フォークスという牧師が「ブラウン・ジャグ」という詩に書き、ロバート・ダイトンが彩色の版画にして世に出した。これが大衆的人気を博し、当時スタッフォードシャー州の陶芸家のウッド一家がその版画にヒントを得て「トビー・ジャグ」として幾点かの彩色の小彫像を製作、これがまた評判となり、以来ウッド家のお家芸となったらしい。この初期の1770年から1810年頃の作品には有名をはせた「ロドニー卿」をはじめ海軍士官見習など船乗りの人物が多い。また「長顔のトビー」や「痩せのトビー」など顔の特徴を主題としたものも少なくないが、そのほとんどは三葉形の帽子をかぶり、椅子に腰をかけ、膝の上に置いた手にはエール酒の入ったマグか、カップを手にしている。その表現は顔が大きくかなり写実的であるが、下半身のプロポーションが悪く、顔に比べてかなり粗雑に扱われている。これとは別に気になることは三葉形の帽子に蓋のあるものが幾つか見られることで、これは金属製のピューターに多く蓋が付いているものがあることから、これらのジャグには当初は蓋があったのではないかとも考えられる。
 これら初期のトビー・ジャグの大多数は中年の男性であるが、19世紀に入るとマグを手にした女性の像も現れ、その人気は、例えば1919年のオークションで女性像に630ポンドという法外な高値を呼んだ、と文献は伝えている。そしてこの世紀の中頃からは椅子に腰かけた人物に限らず顔の部分だけの、いわゆるフェイス・マグや胸像のマグも次々に製作され、その中には帽子をかぶらない人物の姿、あるいはグロテスクな人物、怒る男、その他、ナポレオンやネルソン、ハーリー・フェントンのような政治家の胸像などトビー・ジャグは新しい時代を迎えてもなおその人気を保っている。その最も新しい像では1950年に製作された元イギリス首相ウィンストン・チャーチルの像が知られている。
 以上、イギリスの酒器のうち、エール酒やビールを容れるジャグとマグ、それにポジット酒を容れるポジット・ポットについて簡単に述べて来た。これらの容器は一般大衆のために製作された器で、宮廷の王侯貴族や一部特権階級の場合は事情が違う。宮廷や大商人らは公式の場や来客との会食の際には普通はワインやブランディを主飲料とし、ビールやエール酒は庶民の飲料として宮廷に持ち込まれることはほとんど無かったとのこと。ワインの器に関しては金銀に宝石を象眼したワイン容れや見事な打ち出しのワイン・クーラーや精緻を極めたカットやグラヴィールを施したグラスなどが用いられていたが、これらは自国で作られたものより、ドイツ、フランス、イタリアなどの著名な工房で特注品として製作されたものが多く、その国を代表する酒器とは決め難い。
 なお、はじめに述べたジャグとマグについては同一の器でも、イギリスの学者によってもジャグとする人、あるいはマグと呼ぶ人など必ずしも明確に定義されていない。

【プロフィール】
前田正明(まえだまさあき)
武蔵野美術大学・名誉教授、日 本・ギリシア協会理事、美術評論 家。著書に『西洋陶磁物語』『ヨ ーロッパ陶磁名品図鑑』(講談社)、 『タイルの美 西洋編』(TOTO 出版)、その他西洋陶磁器関係の 著書多数。

お酒の四季報 2001年春号

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