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日本と海外の酒めぐり
中欧「酒と水」紀行
中欧「酒と水」紀行2 オーストラリア  
阿蘇郡白水村を拠点に、水をテーマに数多くの作品を発表してきた白川湧さん。昨秋、彼が中・東欧への旅で出会ったのは日本とは少し違った酒と水であった。今回は、そのなかからチェコの酒をご紹介する。

ピルスナーの故郷プルゼニュ
写真 ウィーンからプラハへは国際列車で行く。
国境でパスポートチェックを受けるといよいよチェコだ。列車は30分ほどの遅れでプラハ郊外の「ホロショヴィッツエ駅」ホームに滑り込んだ。今回チェコを訪れた最大の目的はピルスナービール発祥の地、プルゼニュ(ドイツ語名ピルゼン)に行くことだ。日本を出る時から楽しみにしていた『プルゼニュスキー・プラズドロイ醸造所』を見学するためプラハで一泊し、翌早朝列車でプルゼニュへと向かった。しかしピルスナービールについてなんの予備知識も持たないで行くのはいささか気が引けたので、醸造所を訪れる前に『ビール醸造博物館』を訪ねた。ここには日本語の説明書も準備されており、おかげでビールの歴史と製造方法の勉強になった。チェコのビールは13世紀バーツラフ2世の時代に始まる。1842年11月5日ボヘミアの大麦とザーツのホップと硬度1〜2度(ドイツ硬度)と極めて柔らかな水からそれまでのものとはまったく違うタイプのビールができた。現在我々がもっとも慣れ親しんで飲んでいる下面発酵ビール、ラガービールの誕生である。きめ細かい真っ白な泡と、ホップの効いた黄金色のビールは、当初製造を目指したミュンヘンタイプのダークビールとは違ってしまったが、これがピルスナービール(現地ではピルスナー・ウンケル=ピルスナーの源泉と呼ばれる)の始まりである。「百聞は一飲にしかず?」先ず飲んでみようと、この博物館お奨めの酒場へと向かった。薄暗い、いかにもレトロな感じのビアホールは、中世の町で飲んでいるような錯覚に陥る。ジョッキが出てきた瞬間「泡がすごい」と思った。早速飲んでみる。泡はきめ細かく粘りけがあり、口の周りにまとわりつき容易に消えないのだ。
そして口中いっぱいに快い苦さが広がり爽やかで、なんとも言えない至福感で満たされる。ジョッキ2杯をたいらげ、つまみ付きで100コルナ(約400円)は安い。
醸造所の見学は英語、ドイツ語、チェコ語のコースがある。英語コースに入り工場へと向かった。日本でもビール工場を見たことはあるが、ビール造りに詳しくない私には違いなど判るはずもなく、どちらも同じようなものだ。その中で印象に残ったのは、「トウエルブ・ロウ」という言葉だ。いわく「仕込みは12時間」「発酵は12日間」「貯蔵は12週間」「貯蔵から12時間で新しいビールを加える」「麦汁エキスは12%」「年中(12カ月)飲める」「12コルナで飲める(今はこれでは飲めないが)」。見学の最後はビールの試飲だ。大きな樽の蛇口からでき立てのビールがジョッキに注がれる。
ビールを口にしたとたんプラハで飲んだビールと味がまったく違うことに気が付いた。苦み、きれとも昨夜ビアホールで飲んだものと、今工場で飲んでいるビールとは明らかに異質の感じがすると思いこの点を聞いてみた。
「ビールはでき立てがうまい」となんとも簡単な答えが返ってきた。この工場にも大きなビアホールがあり、見学が終わるとそこで飲めるようになっている。
ついでにチェコ人のビールの飲み方に触れておく。地元の人たちが行く酒場では、小さな樽が置いてありそこから自分で蛇口をひねり飲む方法の店と、日本と同じようにジョッキについでくれる店とがある。ビアホールはどこも賑わっていたが、ほとんどのチェコ人はつまみを頼まない。ひたすらビールを飲み、ある時は語りあい、ある時は口角泡をとばしながら議論をして時間を過ごすのだ。写真「ビールは飲むパン」といってはばからないチェコ人たちは、飲むことですべての栄養が賄われると思っている。ここにいるとビアホール(現地ではビヴニツエという)の歴史を感じると共に、チェコの人たちにとってビールの占める比重の重さを思わずにはいられない。
ちなみにチェコ人のビール消費量は年間150(プラハに限れば250以上)にも及び、世界1位と文字通りビール大国である。

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