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日本と海外の酒めぐり
イタリア紀行
輝きだしたグラッパ  
戦後の徒花のグラッパブーム
 第二時世界大戦が終わり1950年代半ば、高度成長期に入り生活が安定してきたイタリアでは、戦中、戦後のアルコール不足に対する反動からか、一番簡単に手に入るグラッパの消費が一時的に急増した。ワイン生産王国イタリアのことだから、品質さえ気にしなければヴィナッチャはいくらでもあった。そして、この時期多くの蒸留所が急増した需要に応えるため、伝統的単式蒸留器を捨てて連続式蒸留機を導入、グラッパの大量生産に入った。このようにして造られたグラッパは放送が始まったばかりのテレビのコマーシャルを通して一気に家庭へも広がっていった。グラッパは田舎でだけ消費される酒から抜け出し、一時的にではあるがイタリアの国民的蒸留酒となったのだ。
 しかし連続式蒸留機で大量生産された個性に乏しい平凡なこれらのグラッパは、安酒グラッパのイメージを払拭することはなく、1960年代に入り高度成長が一段落し社会が成熟化してくるとあっさりと見捨てられてしまう。都会では外国から入ってきたウイスキー、ブランデー、ウォッカ、ジンなどのハードリカーに人気が移り、グラッパは再び主に農村部で消費される時代遅れの蒸留酒に逆戻りし、そのような状態が1980年代初めまで続く。

ノニーノ蒸留所の第一歩
 しかしすでにこの時代、後にグラッパ革命と呼ばれる奇跡の第一歩が踏み出されていた1973年の事だ。ユーゴスラヴィアとの国境に近いフリウリ州ペルコートという小さな村のノニーノ蒸留所が単一品種でグラッパを蒸留した。それまではヴィナッチャというのはいわば廃品だから、とりあえず手に入ったヴィナッチャを混ぜて蒸留するのが普通でもちろんヴィナッチャの由来などはまったく問題にされなかった。ところがノニーノはグラッパにとって素材であるヴィナッチャこそ最重要であり、そのことを消費者にも明示するべきだと考えたのだ。そして彼らが選んだ品種はフリウリのスイートワイン最高品種とされるピコリットだった。1973年ノニーノはピコリットのヴィナッチャだけを別に蒸留し、販売した。細心の注意を払い単式蒸留器で蒸留されたこのグラッパが当時としては破格に美味しいものであったことは別としても、これは様々な意味で非常に重要な一歩であった。まず第一に単一品種で蒸留したことだ。 それまではヴィナッチャがどの品種のものであるか、どの畑のものであるか、どの生産者のものであるかを気にする人はいなかった。蒸留所も手に入ったヴィナッチャを白葡萄も黒葡萄も一緒に蒸留して、一種類のグラッパを生産していた。ところがノニーノはそれまで単なる原料でしかなかったヴィナッチャを表舞台に出して、ヴィナッチャにも品質の良し悪しがあると同時に、グラッパはどんなヴィナッチャで造られたかによって風味が異なるのだということを明確に示したのだ。このことは後のグラッパの発展にとって言い尽せない程重要なことであった。なぜなら素材と直結した、いわばオリジンが見えるということがほかの蒸留酒にないグラッパの最大の魅力であり、そのことがグラッパ革命成功の最大のキーポイントだったからだ。実際どの品種の、どの生産者の、はたまたどの畑の葡萄のヴィナッチャから造られたグラッパであるのかが、現在消費者の大きな関心事であることを見ても、それは明らかである。
 第二に、ノニーノはこのグラッパに破格に高い値段をつけた。当時安酒グラッパに高い値段を払う人はいるはずもなく、ノニーノの単一品種グラッパは素晴らしく香り高いグラッパであったにもかかわらずほとんど売れなかった。しかしノニーノは挫けず、高品質グラッパを知ってもらうために有名人にプレゼントしたり、イタリア中を駆け回りプロモートを続けた。そしてノニーノの単一品種グラッパは徐々に知名度を獲得していき、同時にグラッパのイメージも向上した。安酒グラッパでも高級品がつくれることを高価格で示したことは重要であった。
 第三に、ノニーノはこのグラッパを手作りの美しく繊細な瓶に詰めた。それまでのグラッパはいかにも質より量の安酒といった厚手の1リットル瓶が主流だった。それをノニーノは芸術品のような薄手のヴェネチア・グラスの250ミリリットルの瓶に入れて、品質を保証するという意味で一本一本のタグに自筆でサインをした。ここから今だに続くボトルデザインに凝る流行が生まれ、今では船や星座など奇妙なボトルで販売している蒸留所もある。これらは明らかに行き過ぎであるが、1973年当時は洗練された酒というイメージの構築にはおおいに役立ったのである。

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