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日本と海外の酒めぐり
ほろ酔い紀行
常夏のハワイで日本酒コンクール  
リピート型観光酒造業というあり方
photo そんななか、ハワイ諸島で唯一大規模なサトウキビ農場と製糖業が残るマウイ島でひとつのラム蒸溜所が創業した。コロラド出身の親子がハワイのラムづくりを復活させ、観光拠点としての展開も視野に入れながら事業化を進めているのである。蒸溜所は100年も前に建てられた糖工場跡。広大なサトウキビ畑を通り抜けたところにあるラム工場は、たしかに観光客を惹きつけそうだ。
 ハワイの酒造業は少なからず観光産業化している。マウイ島やハワイ島のワイナリーは、どちらも魅力的なロケーションに落ち着いたゲストハウスを構え、観光客の憩いの場になっている。ハワイ島のコナビールをはじめとする、たくさんのミニ・ブリュワリーも、レストランを併設するなど観光客を意識している。大量生産・大量販売や高品質追求による広い流通を前提としない行き方がそこにはある。
 念のため補足しておくが、彼らは一見の観光客を相手にして品質を軽視しているわけではない。一定レベルの品質は維持しているし、なによりも彼らはリピート客がなければ観光産業が成り立たないことをよく知っている。

冷蔵庫で清酒をつくればいいのだ
photo サトウキビ産業がハワイにもたらしたもうひとつの酒。それは清酒である。
 ハワイではサトウキビ・プランテーションに多くの人手が必要になった時、ネイティブ・ハワイアンが麻疹や梅毒など外から持ち込まれた疫病などで激減、労働力が逼迫していた。そこでハワイ政府はアジアからの労働移民の調達に動く。最初に中国から、少し遅れて日本からは明治18年(1885年)に本格的に移民が始まる。
 サトウキビ農場での長時間の激しい労働は、日本からやってきた人々を苦しめたが、そのなかで求められたのが酒であった。清酒は明治21年(1888年)に初めて輸入され、以後、ピーク時にはハワイの人口の4割を占めるまでになる日本人移民の増加とともに増加していく。
 清酒の需要はどんどん大きくなっていったのであったが、関税は高く清酒は庶民が気軽に飲める値段ではなかった。1908年(明治41年)安価に清酒を供給しようする動きと、日系人による新産業を創出しようという動きが合わさって、ついにホノルル日本酒醸造株式会社(後のホノルル酒造製氷会社)が設立される。
 創業者の住田多次郎氏は広島県出身で、もともとハワイへの清酒の輸入商。酒造会社を創業したものの、常夏の島での清酒の醸造は苦難を極めた。腐造が相次ぎ、出荷しても返品の山。いきなり経営危機に直面する。そのとき彼は「冷蔵庫のなかで清酒をつくればいい」というアイデアを発想する。結局このアイデアがハワイでの清酒づくりを安定させ、会社は窮地を脱することになった。そして、これが後に日本国内での通年醸造につながっていく。
写真提供『週刊新潮』/撮影 本田武士

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