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日本と海外の酒めぐり
ほろ酔い紀行
常夏のハワイで日本酒コンクール  
日系社会では女も飲んでいた
photo かつての日系社会での酒の飲まれ方について、ホノルル在住の日系人のジャック・タサカ氏(91歳)は次のように語る。
「ホノルル酒造はタンタラスの丘の下の小山にあって、山の酒屋と呼ばれていました。禁酒法が終わって1934年に酒づくりを再開すると、タカラマサムネとタカラムスメの銘柄で売り出し人気となります。
 暑いところですが酒はだいたい燗で飲まれていました。日本と違って、男も女も同じように飲んでいました。酒だけでなくタバコも。タバコなんて仕事の最中に吸えばその時だけは休めるでしょう。休みたいから皆がタバコを吸う。女は男と同じように働いて、家事もやってだから、酒だって同じように飲んだんです。
 農場の中の売店では酒は積極的に売りませんでした。トラブルの元になりますし、労働の質が下がるから。それでみな広東人が経営するショップで買っていました。中国からの移民は1850年ごろから本格化していたので、日本人よりひと世代早くて、資金を蓄えて独立して商店を出すようなのが結構あったのです。
 洋酒を飲むようになったのは戦後です。スコッチやバーボンが日系人にも広がったのですが、海軍が上級品をみんなもっていってしまうものだから、われわれは安物をソーダと氷でハイボールだったですね」

日本酒文化を伝える国際酒会が発足
photo こうして清酒はハワイで本格的に製造・普及していくのだが、ハワイ産の清酒のレベルアップに大きな貢献をしたのが故二瓶孝夫氏である。二瓶氏は戦後、ホノルル酒造製氷会社に乞われて酒造技術の改良にあたった。火落ちの防止、酒造労働作業の合理化による労働時間の短縮、泡なし酵母のいち早い実用化など、日本国内での課題を先駆けて解決し、大いに注目された。
 1987年、当時、ホノルル酒造製氷会社の副社長を務めていた彼は、「国際酒会」の顧問に就任する。この会はホノルルで「日本酒文化」を海外(特に北米)に紹介することを目的として活動する有志の会。七夕の会や月見の会など日本酒文化に親しむイベントのほか、2001年からは「全米日本酒歓評会―ジョイ・オブ・サケ」を開催、一昨年からはサンフランシスコとニューヨークでも公開B酒会をおこなっている。同会は二瓶氏を慕ったメンバーによって結成されており、彼の功績は酒造技術の分野にとどまらないものであることを示していよう。
 昨年9月、ホノルルのハワイ・コンベンション・センターで「第5回 全米日本酒歓評会―ジョイ・オブ・サケ」が開催された。オープニングは、国際酒会のメンバーと日本からやってきた蔵元による鏡開き。会場にはアメリカで流通している清酒を中心に、200種類を超える酒が並ぶ。入場料は、現地の相場からは「かなり高い」という65ドル。にもかかわらず1000人近い人が集まった。聞けば招待客はわずかで、ほとんどが有料入場者という。ホノルルの清酒愛好家のこの催しへの支持の厚さを実感する。
 もともと酒を持たないハワイ文化に、文明として入り込んだ酒。それが異文化と交流するうちに次第に酒に馴染んでいく。おもしろいのは日本固有の酒が、ハワイを足がかりに異文化への浸透をさらに進めるようになってきたこと。ハワイから広がる日本の酒から、しばらく目が離せないようだ。
写真提供『週刊新潮』/撮影 本田武士
J・タサカ氏のみ編集部撮影

月刊酒文化 2006年3月

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