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イスラエルの酒事情
イスラエルの酒事情
敬虔なユダヤ教徒しか触れられない
photo もっと大変なのが醸造過程での規則で、何よりも問題なのは敬虔なユダヤ教徒(教会に通い、戒律をしっかり守っているユダヤ教徒)しかワイン、醸造設備に触れてはならないことである。イスラエルの大きなワイナリーはほとんどのワインをコシャーとして売っているが、ワイナリーを訪問すると最初に「ワイナリー内にあるものに一切触らないで」と厳重に注意される。例えば敬虔なユダヤ教徒でない私がワインの入ったタンクや樽にちょっとでも触れてしまうと、そのワインはすべてコシャーとして売ることができなくなり破棄せざるを得ない。注意してほしいのは、ユダヤ教徒であるだけでは駄目で、敬虔なユダヤ教徒でなければならないことである。ワイナリーの醸造家はほとんどユダヤ人でユダヤ教徒ではあるが、教会に頻繁に通い、厳格な戒律を守って生活している人は少ない。したがって醸造家である彼らも自分が造っているワイン、醸造設備に手を触れることが許されないのである。これは異常に不便である。自分が醸造したワインを味見するにも、このためにワイナリーが雇っている敬虔なユダヤ教徒を呼んでワインを樽からグラスに移してもらう必要があるし、ワイン造りのどの段階でも直接自分が作業を行うことはできない。ワイナリーで黒い服を着て帽子を頭に載せた髭とカールしたもみあげの伝統的スタイルのユダヤ人を見かけるが、彼らはワイナリーがコシャーの規則をちゃんと守っているかを監視している人だ。もちろん酵母、清澄剤なども製品もコシャーのものを使用しなければならない。これ以外にも古代エルサレムの神殿に納められていた10分の1税の名残として、1%のワインを神に捧げるためにタンク、樽から流す儀式を行う必要もある。普通のワイン造りよりもかなり余分なコストがかかるので、ブティック・ワイナリーなどはコシャー・ワインの生産をしていないが、イスラエルの人は敬虔な信者でなくてもコシャー食品を好んで消費する傾向があるし、大手スーパーなどはコシャーでないと置いてもらえないので、中から大規模のワイナリーはコストがかかってもコシャーの規則を守ってワイン生産を行っている。

サービスにも及ぶ制限
photo 最後に更に複雑なのはサービス時の規則である。コシャー・ワインは敬虔なユダヤ教徒によってのみ抜栓されグラスに注がれなければならず、外国人や敬虔でないユダヤ人によってサービスされるとその瞬間にコシャー・ワインでなくなってしまう。しかし、レストランやケータリングではこの規則を守ることはほとんど不可能である。なぜなら、イスラエルでも敬虔なユダヤ教徒は1割ぐらいと言われていて、残りの9割はコシャー・ワインをサービスできない人になってしまうからだ。
 なぜユダヤ教がここまでワインのサービスについて神経質になるかというと、他宗教でもワインが信仰に使用されているからである。敬虔なユダヤ人以外が触れたワインは他宗教の神に捧げられた恐れがあり、それを敬虔なユダヤ人が飲むのはとんでもないといった考え方である。ワインがユダヤ教で重要な宗教的意味をもっているからこそ必要となる用心である。
 したがってワイン以外の飲み物なら何の問題もない。そこで生まれてきたのがメヴシャルと呼ばれるワインをボイルする逃げ道である。ボイルと言っても今はフラッシュ・パストリゼーションといって数秒間80〜90度でワインを熱するだけであるが、これによりコシャーの戒律ではワインの範疇から出てしまい、宗教解釈上ワインでなくなる。宗教的重要性を失うので、葡萄ジュースやレモネードと同じように誰でも扱える飲料となる。レストランやパーティですべてのボーイを敬虔なユダヤ教徒で揃えるのは不可能だから、いまでも多くのワインはメヴシャルである。ただ、コシャー・ワインの規則は一切品質に影響を与えないが、数秒とはいえフラッシュ・パストリゼーションをすると、生き生きとした果実味が失われたり、煮詰めたような風味が出てしまったりするので、高級コシャー・ワインには使用されていない。
 頭の痛くなるようなややこしい話だが、敬虔なユダヤ教徒の間では当然のようにこれらの規則が守られて、ワインが造られたり、消費されたりしている。信仰というものが生活の中で持つ意味が、現在の日本では想像も出来ないほど大きい国なのである。

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