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日本と海外の酒めぐり
中欧「酒と水」紀行
中欧「酒と水」紀行1 オーストラリア  
草原の国モンゴルには現在も多くの遊牧民が暮らす。彼らには豊かな乳加工の文化があり、自給自足の生活を営んでいる。乳から作る酒は、醸造酒も蒸溜酒もほとんどが自家製。それらはチーズやクリームなどの乳加工の食文化にしっかりと組み込まれている。今回は、モンゴルの遊牧民の事例から酒づくりのある暮らしを考える。

現地でしか飲めない酒
「どうぞ」と差し出された椀には、ほのかに黄色味がかった白い液体が並々と注がれていた。ところどころに藁くずのようなものが浮いている。初めて見る馬乳酒アイラグである。
椀は遊牧民のゲル(テント:内モンゴルではパオ)を訪ねた一〇人ほどの日本人の間を時計回りに巡っていく。彼らの作法に倣い、両手で椀を受け取り(あるいは右ひじを左手で支えるようにする)、馬乳酒にフウ〜と息を吹きかけてから口に運ぶ。通訳の女性から、息を吹きかけるのは、馬乳酒の神がその家にとどまるようにするためだと教えられる。
いよいよ自分の前に椀が回ってきた。顔を近づけると馬の乳臭さとともに鮒鮨のような発酵臭が鼻を突いた。おそるおそる口に運ぶ。
強い酸味と慣れない生臭さが口いっぱいに広がる。飲み込んだあとも、酸味と発酵臭がずっと残っている。
続いてチーズをすすめられる。ミモレット(フランス産ハードタイプチーズの一種)の
ようにオレンジがかったものや、クリーム色のものなど何種類かのチーズがアルマイトの皿に盛られている。どのチーズも硬く、日本人がイメージするチーズよりも水分が少なく、麦落雁のような口当たりのものすらある。色の違うものを二つ三つ選んで試してみると、酸味の強いものや穏やかで食べやすいものなどさまざまであった。
馬乳酒もチーズも遊牧民が自分たちで作ったものである。ウランバートルなど都市部では、遊牧民が作った馬乳酒が市場で売られることがあるそうだが、保存が利くものではなく、現地に足を運ばなければ口にすることができない酒である。
ふたたび巡ってきた馬乳酒を飲む。不思議なもので、今度は臭みをあまり感じない。チーズと交互に口に運ぶと独特の香りも強い酸味も苦にならない。これを毎日飲むのだと腹をくくり、体が上手にこの酒を受け容れてくれることを願う。
こうして五日間にわたって馬乳酒を飲み続ける旅はスタートした。


厳しい自然に暮らす遊牧民
モンゴル国は人口二四〇万人。そのうち九〇万人は遊牧民である。馬・牛・ラクダ・羊・山羊などの家畜を飼い、肉・乳・羊毛な
どを得て暮らしている。住居はゲルと呼ばれる移動式テントで、ひとところにとどまることなく草原を移動する。遊牧民の生活には電気も電話も水道もない。ガソリンエンジンによる発電機を持つ者もいるが、使用は生活のごく一部に限られる。
国土は、北緯五〇度前後に広がりシベリアに接する。南にはゴビ砂漠、西はアルタイ山脈を抱え、東の草原地帯は中国にまで伸びる。
標高は平均で一五〇〇cと高く、内陸にあることもあって平均気温は摂氏零度前後と低い。
四季はあるものの夏は短く、夏の平均気温は一七度、冬はマイナス二〇度より下がる。気温の日較差も大きく、訪れた八月中旬には昼間四〇度を超え、夜間はトレーナーが必要なほどに冷え込んだ。湿度も低い。蓋を開けたままインスタントコーヒーを一日放置してもまったく湿気らないほどである。
モンゴルはソビエト連邦の崩壊までその強い影響下にあったが、この一〇年間で民主化が進み、民間レベルの海外交流も活発になった。旭鷲山や朝青龍などのモンゴル人力士が日本で活躍するようになった背景には、こうした体制の変化がある。
日本からは成田から直行便でウランバートルまでわずか五時間弱。翌日、バスでウルブハンガイ県ブルド郡に向かう。ウランバートルの郊外にはすぐに草原が広がり、途中、休憩をはさんで一〇時間近く、同じような埃っぽい景色が広がる。猛暑と雨不足で痩せた牛が道をのそのそと歩む。雨不足はここ数年続いており、牛や馬などの大型家畜には冬を越せないものが続出しているそうだ。それは、後述するように馬乳酒にも影響している。

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