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中欧「酒と水」紀行
中欧「酒と水」紀行1 オーストラリア  
シンプルな蒸溜酒 アルヒ
モンゴル遊牧民はもうひとつアルヒという蒸溜酒をもつ。牛乳を発酵させた醪をシンプルな蒸溜器で蒸溜したものだ。
アルヒの醪づくりは、まず、全乳を煮沸し浮いてくるオイルを丁寧に掬い取ることから
始まる。これはウルムと言われ、バターオイルなどに加工される。
脱脂した牛乳はスターター(ほとんどは前回の醪の残り)を加えてポリタンクなどに入
れて暖かいところに放置し、ブクブクと発酵するのを待つ。二?三日、遅くとも一週間く
らいで醪ができあがる。先に馬乳酒が飲まれる時期の前に、牛乳を乳酸発酵させたものを代用として飲むと述べたのは、この醪のこと。
ただし、これはチーズなどに加工する途中段階の酸乳(乳酸発酵の進んだ乳)であり、本来このまま飲むものではない。
ところで、蒸溜器には内どり式と外どり式のふたつのタイプがある。内どり式は蒸溜器の内部に蒸溜液を受ける容器を置くもの。これだと蒸溜液を分けて採取することができない。外どり式は蒸溜液を樋などを使って蒸溜器の外に誘導するタイプ。採取する蒸溜液を、最初に流れ出る部分、中ほど、最後に出る部分と分けることができる。
今回、訪ねた遊牧民は、内どり式の蒸溜器を使っていた。中華鍋のような大きな鍋に醪を入れ、自宅の中にある竈にのせる。その上に蒸溜器をセットし、中に蒸溜液を受ける器を置く。蒸溜器の上に洗面器のようなものをのせて冷水を満たす。そして、冷却部と蒸溜器本体のつなぎ目に布を巻いて気化したアルコールが逃げないようにふさぐ。あとは焦げ付かないようにゆっくりと醪を沸かす。燃料は乾燥した牛糞を用い直火で加熱する。蒸溜時間はトータルで一時間くらい。冷却用の水が湯になると水を張り替えるが、それをおおむね二回繰り返したところで蒸溜は終わる。
ちなみにその時に得たお湯は、洗髪などに利用される。
およそ一〇リットルの醪から一リットルほどのアルヒがとれた。できたての酒は酸味があり、日本酒
の熱燗あるいは焼酎の五対五のお湯割りくらいの温度。醪の酸味がそのまま残り、思っていたよりも飲みやすい。それが、冷めてくると馬乳酒と同じような乳臭い香りが出てくる。
現代的な洗練された蒸溜酒を飲みなれた者には、ちょっと飲みにくい。
しかし、これは紛れもなく酒である。アルコール度数は一〇度くらいであろうか。飲め
ば確実に酔いを感じるものだ。
遊牧民は、酒を常飲しない。彼らに晩酌の習慣はなく、食事の時にも酒は飲まない。彼らが酒(アルヒ)を飲むのは交流の時である。
隣近所、といっても数キロも離れているが、彼らと交流する目的で気さくな酒盛りを開く。
あるいは遠来の客が訪れた時に酌み交わす。
アルヒを薬指で天に一振りし、大地に一振りし、最後に額につけ、「トクトイ」と言って
乾杯する。酒が社会的なものであることをあらためて感じさせ、日常から非日常への道具立であることを思い起こさせる。


乳加工の一部としての「酒」
蒸溜を終えアルコールを取り出した醪は、このあと水分を除去してチーズに加工される。
蒸溜器の内側にこびりついた酒粕もチーズになる。蒸溜は乳に含まれる乳糖をアルコールとして取り出すものであり、モンゴルの遊牧民が持つ広く多様な乳加工の体系の一部なのである。乳というそのままでは保存しにくい食材を、保存できるかたちに変えながら、徹底的に利用し尽くす。そのために熱や酸や微生物を利用し、酒づくりはそこに組み込まれている。
滞在の最終日に、およそ三〇年前に使われていた蒸溜器を使って、自分たちでアルヒを作る機会を得た。蒸溜器は木製で外に蒸溜液を誘導する外どり式のもの。遊牧生活に便利なようにであろう、携行性を高めるためバラバラに分解できるようになっている。
醪は遊牧民に分けてもらった。竈の上に据えて、この蒸溜器をのせ、薪で加熱する。遊牧民の主が興味深そうに近づいてきて、「自分もこんな古い蒸溜器は使ったことがない」と言いながら、あれこれアドバイスをしてくれる。きっと、『こんな古い蒸溜器じゃあ、おいしいアルヒはできないぞ。俺の家の蒸溜器を使えばいいのに……』と思っていたに違いない。が、参加したメンバーには、日本では公にはなかなかできないことであり、こんな超シンプルな蒸溜器で蒸溜酒ができることを体感したいという強い気持ちがあった。
加熱し始めて一時間も経ったろうか。樋の先に結んだ紐から、蒸溜液がポタポタと流れ出てきた。慌ててペットボトルで受ける。はるばるモンゴルまでやってきたのは、このためであったと思う瞬間。
日本では、酒は買って来るものであって作るものではない。ワインなどの単純な醸造酒はまだしも、蒸溜酒となると自分で作るという感覚は皆無である。けれども酒づくりは難しいものではなく、確実に生活の中にあったものなのだ。醸造酒も蒸溜酒もまったく身近なものであった。われわれはこのことを忘れてしまっている。
蒸溜を終え、遊牧民の主に味を見てもらう。この蒸溜器ではこんなもんだろうという表情。それでも彼は一言も酒を悪く言わない。後で、通訳から「モンゴルでは初めて作った酒は悪く言わないものなのだ」と言っていたと聞く。

アルヒの再蒸溜
蒸溜によって醪は、総量の一〇分の一足らずの酒とおよそ二倍に濃縮された酸乳になる。
われわれがおこなった蒸溜は、それに遠く及ばない効率だ。
これまでモンゴルの乳酒の報告では、アルヒをさらに蒸溜することでアルコール度数の高い酒を得るとしている。しかし、総量の一〇分の一しか得られないアルヒを、二度、三度と蒸溜を繰り返すことがあるのであろうか。
あるとすれば、それはよほどの時であるはずだ。考えられるのは婚姻、誕生、葬儀などの大きな人生儀礼か、集団での大きな祭礼、または医薬品として活用する目的であろう。技術面から考えても、蒸溜によってアルコール度数の高い酒を得ようとするならば、先に乳に補糖して醪段階のアルコール度数をもっと高めたほうが効率的である。
この疑問に、遊牧民の主は「数回蒸溜を繰り返した酒はこの辺にはない。よその地域のごく一部、欲しがる者は薬物として求める」と答えた。そして、蒸溜を二度繰り返したものをアルズ、三度繰り返したものをホルズと呼ぶと聞いているという問いに、「それは蒸溜液の採取部分の違いだ」と言った。外どり式の蒸溜器で、最初に流れ出るアルコール度数の高い部分がアルズやホルズだと言うのである。これがモンゴルの酒について一般的なことか、それともこの遊牧民や地域に固有のことかはわからない。
馬乳酒やアルヒの飲み方や加工の違いを概観すると、モンゴルの遊牧民は「保存性と携行性の高い乳製品」や「ハレの場を作る飲み物」を蒸溜によって得ようとしているように思える。アルコール度数を高めることをそこに求めているわけではない。アルヒの再蒸溜については、今後の調査研究を待ちたいところである。

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