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日本と海外の酒めぐり
テヘラン酒事情
テヘラン酒事情  
人は酒なくして生きられぬ
テヘラン市内のバザールの様子 イスラム教国のイランはアルコールが御法度と先に触れた。
ホテルやレストランにも、もちろんない。万一、飲んでいるのが判ったらムチ打ちの刑が待っている。しかし米国の禁酒法時代に見るまでもなく、人間、酒を得るためにはさまざまに工夫する動物なのである。実際、革命後のイランでも、親しい友人だけのパーティーでは、手製のウォッカやワインが出された。私の知っているところでは、入手ルートは大きく二つあった。
一つは、こっそり外国から持ち込むケースである。私もやったことがある。欧州に出張となってイランを出国したとき、パリの日本食品店で醤油の缶を二つ買い求めた。ホテルの部屋で一つの缶の中身を全部捨て、何回もすすいで臭いを落す。中が乾いたところで買っていたコニャックを注ぎ入れる。
イランに再入国するときの税関の申告書には「日本のソース」と記載。実際のチェックでは、本物の方の缶の蓋を開けて中身を確認させるまでしたが、「もう一つの缶も開けて」と言われたらどうしようと冷や汗が出た。この外部ルートは本物のアルコールが飲める代わりにリスクが高く、量も多くは持ち込めない。それに比し、比較的簡単なのはイラン国内の密造酒の入手だった。
当局の目を盗んでワインを密造していた人は少なくない。これが横流しされて一般に出まわり、私もこの恩恵にあずかっていた。しかしこれの問題は、質が一定していないことだ。外国人と見て「ワインを買わないか」と持ちかけてくる仲買人から、とても飲めた代物でない密造酒を、法外な値段でつかまされたこともある。

ペルシアワイン造りへの憧れ
ウォッカを小瓶に分ける市民。イラン人家庭では、ウォッカやワインも密造されていた。 私がワインの密造を思いたったのは、もちろん以上のようなイランのアルコール事情があった。しかしそれ以上に私を駆りたてたのは、ワインと歴史的、文化的に因縁浅からぬこの国で、自分が飲むワインを造ってみたいという膨れ上がる誘惑だった。ワインのなりたちの源流は中東といわれているが、それに違わずペルシアでは古来、詩や文学の中でワインが賛美されてきた。一四世紀の代表的な民族的叙情詩人、ハーフェーズは、ワインにまつわる作品を数多く残している。搾ったブドウの果汁を一夜、瓶に置くと美酒となり、美女に捧げるや官能的な日々が始まる。こんな詩を見ても、イスラムの禁欲的な教えとは別に、ペルシア人の末裔には享楽的な性向が脈打っている。この土地にあって、ワイン造りに励まないのは失礼というものだろう。
ワイン造りのノウ・ハウに通じたイラン人の友人を技術指導の顧問に、親しいある日本人特派員を相棒に誘い込んだ。
まずは瓶かめの調達である。素焼きの、なるべき大きいものがいいと教えられた。熟成、発酵がうまくいくからである。テヘラン中を探して、見つけた。高さ1.5メートル、両の腕で抱えきれない大きなものを三つ。高い台に上がらないと、中をのぞき込めない。これを場所がある相棒の家に運び込んだ。
次はぶどう。10月になるとバザール(市場)にはあふれんばかりの色とりどりのぶどうが出回る。日本と比べ甘く、糖度が高い。粒の揃った、甘みの強いぶどうを物色し、これという店にあたると値切り交渉だ。
「50kg買うからまけろ」と、名うてのペルシア商人とやり合う。向こうは知っていて「こんなに大量のぶどうを買って、お客さんどうするの」とニヤリと笑う。買ったぶどうは糖度をさらに上げるため、ベランダで陰干しする。そしていよいよ仕込みである。大きなタライに房ごと入れてつぶす。イランの友人は「処女に踏ませると、美味しいワインが出来るという言い伝えがペルシアにはある」と悠長なアドバイスをするが、そんな女性は身近にいない。
結局、大の男二人がズボンの裾をまくり上げ、交互にタライに入って足で踏んでつぶすことになった。これが重労働なのだ。踏んでも簡単にはつぶれない。指の間から、粒が飛び出す。汁のはね返りが上着まで飛ぶ。ある程度ジュースが溜まったところで、茎も、つぶした房の皮も一緒に瓶にドボドボと空ける。またタライにぶどうを入れ、同じことを繰り返す。50kgのぶどうの仕込みに一日がかりで、終わったときには二人とも床にへたり込んだ。
八分までブドウのジュースが入った瓶を、一週間、蓋をせずに置く。ただしそのままにしておくと腐敗するから、毎日、台に乗って大きなヘラで底の方をかき混ぜ、空気を送り込んでやる。三つの瓶をかき回し終えると汗だくになった。
一週間後、目の細かい大きな布袋に瓶の中身を空けて、ジュースから茎、皮を取り除く。二人がかりで絞ったジュースをもう一度瓶に戻し、発酵促進のために砂糖を少々加える。2、3日経つと、ブクブクと泡が底の方から立ち、発酵が始まった。素人のワイン造りの関門はこの発酵である。失敗する場合、多くは発酵がうまくいかないからだという。早くも二人して「やったぜ」の気分になる。 それから4、5日。瓶の口をビニールで二重、三重に覆い、ゴムで縛って密封する。この状態を一週間。この頃までに、ワインをビンに小分けするのに備えて、必要な道具を揃えなければならない。
小分けするための大量のビン。ビンの口を封じる王冠。そして密封用の機械の三点セットである。再びバザールに。向かうところは雑貨商である。さして苦労なくビン150本、同数の王冠、ビンの口に王冠を密封する機械を揃えた。こんなに簡単に見つかるということは、密造酒造りがいかに横行しているかの証左である。
いよいよ小分けのときになった。ビニールの封を解き、味見してみる。薬のような妙な苦みが口に広がった。「これがワインかい」。相棒と顔を見合った。美味しいとはお世辞にも言い難かった。
150本のビンへの小分け作業も一日がかりだった。細い管で瓶からジュースをビンに移す。王冠をビンの口につけて密封用の機械の取っ手を思いっきり押すと、王冠はピシッとはまった。相棒と75本ずつ分け合い、台所の流し下の暗所に寝かせた。

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