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アイリッシュの酒文化
アイリッシュの酒文化  
アイリッシュ・ウイスキー、衰退から再生へ
 世界を席巻していたアイリッシュ・ウイスキーの衰退の背景には、ブレンデッド・ウイスキーに後押しされたスコッチ業界の躍進以外にもいろんな要因があった。そのひとつがアメリカの禁酒法時代(1920〜33年)での『受難』だった。
 禁酒法は、飲酒による生産能率低下の防止と第一次大戦で敵国になり、ビール製造の担い手だったドイツ系住民への反発だけではなかった。イングランド系、オランダ系、北欧系などからなるWASP(白人でアングロ・サクソン系のプロテスタント)が厳格な禁酒運動の一環として、酒飲みのアイルランド系住民からウイスキーのボトルを取り上げようと働きかけたのである。
 禁酒法施行下、密造業者がまがい物の蒸留酒に「アイリッシュ・ウイスキー」のラベルを貼って闇で売りさばいていたので、禁酒法が解かれてからも、アイリッシュ・ウイスキーにダーティーなイメージがつきまとい、消費者離れを引き起こした。これで広大なアメリカ市場を失った。さらにイギリスからの独立戦争に絡む経済戦争(1932〜38年)で、アイリッシュ・ウイスキーがイギリス本国と世界に散らばる大英帝国の市場から締め出された。
 第二次大戦後、スコッチに大きく水を空けられ、蒸留所がどんどん閉鎖に追い込まれ、風前の灯火になってしまった。しかしアイリッシュはここぞというときに強い。一九六六年、かつてのライバルだったダブリンのジョン・ジェイムソンとジョン・パワー、さらに南部のコーク蒸留所がスクラムを組み、アイリッシュ・ディスティラーズ・グループ(IDG)を結成。1972年には北アイルランドのオールド・ブッシュミルズ蒸留所を買収 し、その3年後、コーク近郊のミドルトンに巨大な新蒸留所を開設した。それとは別に一九八七年、北アイルランド国境に近い東海岸の町ダンドーク近郊のクーリー蒸留所が、実業家ジョン・ティーリングによって興され、IDGとはまた違った独立系のウイスキー会社としてユニークなブランドを次々に生産し始めた。
 というわけで、現在、アイルランド島にはIDGのミドルトン蒸留所とオールド・ブッシュミルズ蒸留所、そして独立系クーリー蒸留所の三カ所が稼動している。往時に比べると、蒸留所の数ははるかに少ないが、それでもアメリカをはじめ世界各地でアイリッシュ・ウイスキーのボトルを眼にするようになった。
 その上昇機運をバックアップしているのが、黒ビール(スタウト)のギネスを前面に出したアイリッシュ・パブの世界的なブームである。国民の六人にひとりがアイルランド系住民というアメリカでは古くからあったが、昨今、生演奏を取り入れた本場仕込みのパブがめっきり増え、ヨーロッパやアジアでも日々、アイリッシュ・パブがオープンしている。どうやら気さくでフレンドリーな雰囲気が受けているようだ。スコッチのお膝元、スペイサイドのエルギンにまでアイリッシュ・パブが進出し、大勢のスコットランド人がギネスとアイリッシュ・ウイスキーを味わっている光景をぼくは目の当たりにしたことがある。
 ウイスキーのほかにもビール、リキュール、ホワイト・スピリッツ……と、アイルランド産のお酒にはどれも熱きアイリッシュ魂がこもっている。それをひと口含むと、パッと陽気になれる。お酒の妖精クルラホーンを信じ、酒をこよなく愛するアイリッシュたち。ひょっとしたら、『アイリッシュ・パワー』が洋酒の分野で今ひとたび世界を席巻する日が来るかもしれない。

【プロフィール】
武部好伸(たけべよしのぶ)
大阪大学文学部卒。ケルト文化、洋酒、映画をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。著書に『ウイスキーはアイリッシュ〜ケルトの名酒を訪ねて』(淡交社)等がある。

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