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観光開発とミャオ族の酒文化
観光開発とミャオ族の酒文化  
郎徳(ランテー)村での観光客のもてなし
盛装して観光客に牛角杯で地酒を振る舞う娘(雷山県郎徳村)ミャオ族の観光村の例として、一九八六 年に自治州が認定した七カ所の観光スポットの一つ郎徳村の様子を紹介したい。この村は清朝に興った大蜂起、咸同起義(かんどうきぎ) (1855〜72年)のリーダーの一人楊大六(ヤンターリュウ)の出身村であることから、八七年には省の「文物保護村」に指定され、伝統的な木造家屋にそぐわないレンガ造りの家の建造が禁止され、村の民族文化に対する貴州省や自治州の手厚い保護と支援を受けるようになった。村自身も観光立村に積極的に取り組んだ。楊大六の旧居に蜂起軍が当時使用した刀や鉄砲を集めて展示し、楊大六時代にあったといわれる村の門や風雨橋(瓦葺きの屋根がついた橋)を再建した。また、観光客に銅鼓舞などの民族芸能を披露するために、従来の手狭な広場(銅鼓場)とは別に新たに銅鼓場を作ったり、村の年中行事や信仰世界を紹介した民俗陳列室、簡易宿泊施設、トイレなど観光客を受け入れるための諸施設を建設した。建設に要する人手は可能な限り村人自身が当った。

観光団の受け入れは午前、午後各一回である。観光団が村に到着すると村人たちは爆竹を鳴らし、村の入り口で晴着を着て出迎え、男は蘆笙(ろしょう。フクベか木をえぐって作った共鳴箱に六本の長短不同の竹管をさし、竹管内に銅製のリードをつけた木管楽器)を吹き、女は歌を唄い、水牛の角の杯で酒を勧める。村の門に通じる石段には四カ所ばかり机を置き、道ふさぎをする。客は勧められるままに酒を飲まされる。1カ所で杯に3回口をつけるので、4カ所で合計12回酒を飲むことになる。これが最も丁重な客へのもてなし方なのである。この時、観光客はガイドから杯を持ってはいけないと教えられる。客が自分で杯を持つのはマナーに反するからである。客たちは戦々兢々としてこの村入りの儀式に臨む。門をくぐる頃には客はすでに興奮状態になっているが、村の門でも酒を勧められる。さらに、客が銅鼓場に通されると、ミャオ族の娘たちが酒を勧める敬酒歌を唄い、再び酒を振る舞う。

荘重な楽器演奏に合わせて銅鼓舞を披露する村人たち(雷
山県郎徳村) 一時間半ばかりの間に、男女の掛け合い歌、蘆笙舞(蘆笙で旋律を奏する円形舞踊)、木鼓舞(太鼓を踊りの輪の中央に置き、その拍子に合わせて踊り手たちが踊る円形舞踊)、銅鼓舞(盛装した女性の踊り手たちを率いて村の長老たちが大小様々な蘆笙で荘重な旋律を奏でて左回りに輪を作り、円の中心ではポールの先端に水牛の角状に突き出た枝からつりさげた銅鼓を叩く)など多彩な民族芸能を披露する。これらの舞はいずれも本来は祖先祭祀に用いる神聖な舞踊であるが、蘆笙舞や木鼓舞は観客に向き合ったラインダンスにアレンジして披露する。演技の内容は国内観光客の大半を占める漢族や日本人観光客が抱くミャオ族に対するイメージ(酒飲み、水牛、男女のおおらかな交際)にそって構成されている。最後には観光客も銅鼓舞の輪に入って一緒に踊り、時には観光客が答礼の歌を唄うこともある。演技終了後、観光客は自由に村のなかを歩き回り、戸口のなかを覗き込むが、村民はおおらかに応対しており、こうした村民のホスピタリティも観光立村が成功した要因となっている。
観光客と観光収入は年々増えており、織物や蘆笙など土産物の販売、外地での民族芸能の上演など関連収入も含めると年間30万元に達し、村の年間総収入の三分の一を占めるに至っている。村民の平均収入は86年の126元から95年の500元から600元(1元は15円に相当)にまで増加しており、各家に腕時計、ミシン、自転車、テレビがあり、自動炊飯器を保有する家も出てきている。また、観光開発の一環として村内の道路を石で舗装し、水道や電気施設を敷設したことにより、毎日の水汲み仕事から解放され、伝染病や火災の心配も激減し、村民の表情は明るくなった。 「芸は身を助く」とよく言うが、ミャオ族にとっては酒文化の伝統が身を助けたと言えよう。

中国:1998年12月 月刊『酒文化』

【プロフィール】
曽士才(そう・しさい)
一九五三年、神戸生まれ。法政大学教授。 中国に生きる少数民族の社会と文化の動態的な研究を目指している。
「中国貴州省少数民族地区の観光産業による近代化」で、第三回旅の文化研究所公募研究に採択された。

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