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日本と海外の酒めぐり
スコットランド紀行
シングルモルトの旅 グレンフィディック
日本でも人気が高まっているシングルモルトウイスキー。スコットランドには100を超えるモルトウイスキーの蒸溜所があり、それぞれに個性的な味わいをもつ。
世界市場を睨みつつ伝統的な製法と風土を前面に打ち出し、高いブランドイメージを築こうとする彼らの戦略が、日本の酒類産業に示唆するものは多い。

第一回は、シングルモルトのトップブランドであるグレンフィディック蒸溜所をレポートする。

国産の酒を求めたイギリス
スコッチウイスキーが世界的な商品になったのはわりと最近のことだ。一九世紀の中頃まではスコットランドのローカルな酒にすぎず、イングランドの富裕層ですらブランデーやシェリーなどを愛好していた。ウイスキーは、スコットランドの山奥の人々が飲む粗野な酒というイメージしかもたれていなかった。それが、イングランドで高級酒として評価されようになるのは、背景に、歴史的にイングランドの酒が輸入依存であったことがある。
ワイン、シェリー、ブランデーなど多くの酒は大陸からの輸入品であった。自国や輸出国の戦争はこれらの輸入を困難にする。今日ポートやボルドーのワインはイギリスが育てたと言われるほど、熱心な投資がなされたのはこうした事情からだ。一八世紀にイングランドで社会問題化するほどに飲まれたジンが奨励されたのも、自給可能であったことがひとつの理由であった。
一九世紀半ばにビクトリア女王が即位した頃は、スコットランド・イングランド・ウェールズ・アイルランドの各国に大英帝国としての一体感が醸成されつつあった。産業革命をいち早く成し遂げ、大英帝国が世界に君臨する時代である。その頃、フランスはフィロキセラ禍に見舞われる。ワインだけでなくブランデーの大減産となり、イングランドではブランデーが担っていた高級蒸留酒市場に空白が生じる。ウイスキーがその代替品として飲まれ、高級品として育つ足がかりとなった。

ブレンデッドウイスキーの伸長
ウイスキーが高級品として世界に広がろうとした時、製造技術面でふたつの大きな革新があった。
ひとつは、異なる蒸溜所のモルトウイスキーを混ぜ合わせて優れた香味を作るブレンド技術の開発である。一八五三年にエジンバラの酒商アンドリュー・アッシャーが発売したヴァッテッドウイスキー「Old VattedGlenlivet 」は好感をもって受け容れられた。 もうひとつは一八三二年にイオニアス・コフィが開発した連続式蒸留法である。ニュートラル・スピリッツを生み出すこの技術革新 は、安定的に同じ品質の蒸留酒を大量に安価で供給することを可能にした。
このふたつの技術革新から生まれたブレンデッドウイスキーは、当時重厚で荒っぽかったスコットランドのモルトウイスキーを飲みやすく洗練された酒に変えた。「名物にうまいものなし」とのことわざは多くの場合正しい。地酒として特定地域の嗜好にとどまる限り、地域を越えて大勢の人々の共感を呼ぶことはない。フランス料理がフランスの一般家庭の料理ではないことを考えればわかる。この料理が世界的な料理となったのは、普遍性を追求したシステマチックな料理であったからだ。ウイスキーを世界的な酒に変えたのは、間違いなくブレンデッドウイスキーである。この時、ブレンデッドウイスキーをウイスキーとして認めるかどうかという議論が、裁判で争われたことはよく知られる。数年にわたる議論の末、麦芽以外の穀物を原料とし連続式蒸留機で造られた酒(グレーンウイスキー)をウイスキーと認めることとなり、ブレンデッドウイスキーは正式にスコッチウイスキーを名乗ることができるようになる。1909年のことだ。

そして、この時の議論をベースとして、現在スコッチウイスキーは次のように規定されている。
「スコットランドの蒸溜所で、水と発芽した大麦、その他の穀物を原料とし、麦芽の酵素によって糖化しイースト菌のみで発酵させる。発酵液はアルコール度数九四・八%以下で蒸留し、容量七〇〇s未満のオーク樽で最低三年間貯蔵する。蒸留液には水とスピリッツカラメル(甘味を除いた天然のもの。着色料として使用)以外は加えられていないもの」

スコッチウイスキー関連年表

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