時代や文化とリンクしたお酒に関する旬の情報サイト
酒文化研究所ホームページ
会社概要酒文化の会メールマガジンContact UsTOP
イベント情報酒と文化コラム酒文研おすすめのお店酒文化論稿集酒飲みのミカタ特ダネ
海外の酒めぐり日本各地の酒文化見学できる工場・ミュージアム酒のデータボックスアジア酒街道を行くリンク集

日本と海外の酒めぐり
スコットランド紀行

シングルモルトの旅 グレンフィディック
独自の酵母と発酵管理
オーヘントッシャンの酒づくりでは三回蒸溜が強調されるが、その他にもたくさんの工夫や技術革新があった。 仕込みには、ハイランド地方に位置するココノ湖の水とモルトメーカーから購入した麦芽が使われる。酵母は乾燥タイプの一種類だけ。モルトウイスキーの発酵ではビール酵母とウイスキー酵母の二つを同時に使うことが多いが、オーヘントッシャンは10年前に研究に取り組み、五年前からこの酵母だけを使用するようになった。ウイスキーに向いた性
質をもつだけでなく、乾燥タイプで保存や取り扱いが容易である。ロニー工場長は「われわれが初めてこの酵母を本格的に使用し、いまでは20社が使うようになった。優れた酵母であり、今後ほとんどの蒸溜所がこれを使用するようになるだろう」と予測する。
発酵槽は木製とステンレス製のものを併用している。すべてステンレス製にしないのは、木製の発酵槽からは独特のニュアンスがあるウォートが得られるからだという。 また、発酵時間を二種類で管理している点もユニークなものだ。低温でゆっくり発酵させたウォートと、高めの温度で比較的短時間で発酵させたウォートを使い分けている。
こうした固有の製法によってオーヘントッシャンのウイスキーは、モルトウイスキーとしてはマイルドでスマートな味わいに仕上がっている。ローズバンクやブラッドノックなどローランドのモルトウイスキー蒸溜所が次々と閉鎖されるなかで、異彩を放つ存在になっている。

隠れた主役アイリッシュウイスキー
オーヘントッシャンの創業はアイルランド人によってなされた。もともとスコットランド人がやっていたビール工場を買い取り、アイルランドからの移民がウイスキー工場に変えたのが始まりだという。同社を特徴づける三回蒸溜は、アイリッシュウイスキーの伝統的な手法でもあり、アイルランドの影響が色濃く残っている。この例だけでなくアイルランドの蒸溜酒づくりが、現在のウイスキーに与えた影響は極めて大きなものがある。連続式蒸溜機を発明したコフィはアイルランドの蒸溜所のオーナーであった。アメリカ大陸でのウイスキーづくりも、ほとんどがアイルランドからの移民が始めたものだ。そこで、アイルランドの蒸溜酒づくりの系譜を概観しておきたい。

アイルランドはブリテン島の西に隣接する北海道ほどの広さの島で、古くからイングランドの影響を受けてきた。12世紀には蒸溜酒づくりがあったという記録あり、その後も修道院を中心に蒸溜酒づくりは盛んであった。彼らがウイスキーのルーツはアイルランドであると主張するのは当然であろう。
16世紀頃から酒税制度など法律によるさまざまな規制がかかるようになる。徴税効率を高めるために製造規模の下限を設けたり、蒸溜釜の容積によって製造能力を規定し課税したりするなどだ。
こうした規制は、税収増以上に密造の増加と、蒸溜釜の大規模化を促した。大きな蒸溜釜は税率がディスカウントされたため、アイルランドでは蒸溜釜を大きくする動きが盛んになったのである。18世紀に規制が整いウイスキー産業がいち早く発達すると、1900年には史上最高の生産量を記録する。その一方で、切り捨てられた小規模な蒸溜所は密造所となって各地に多数存続しつづけ、人々の生活に密着していった。
そうしたなかアイルランドは、1840年代後半に未曾有の飢饉に襲われる。ジャガイモの不作が数年続き、急増していた人口を支えきれなくなるのである。100万人が死亡し、100万人がアイルランドを離れ、1846年から10年間に人口は800万から600万に激減する。その後、アイルランドで国外移民が一般的な風潮と受け止められるようになり、人口は減少し続けた。
アイルランドからの移民たちが、ローランドに三回蒸溜のウイスキーづくりを持ち込んで独自のスタイルを確立し、あるいは北米で連続式蒸溜機とコーンを使ったウイスキーづくりを見出したのである。


<<前頁へ      次頁へ>>