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麦焼酎の原産地「壱岐」を訪ねる
玄海灘に浮かぶ壱岐では、江戸時代中期から麦焼酎が造られている。長崎県第二の平野を持つ豊穣な島の焼酎は、平成七年にWTOから麦焼酎の原産地としての呼称を認定された。現在では、麦焼酎と言えば大分が有名になっているが、日本の麦焼酎のルーツを訪ねるべく今も壱岐に残る七社の蔵元を訪ねた。

原産地指定を受けた焼酎
昨年は、本格焼酎と縁の深い年になった。早春には、球磨焼酎フォーラムを後援することとなり、球磨盆地を訪れた。そこでは、全部で40数社の蔵元が米焼酎造りに励んでいた。そして今度は、秋まっさかりの10月に壱岐酒販協同組合白川理事長と酒販工学研究所の宇賀神所長(酒文化研究所顧問)のコーディネイトで旧知の酒販店さんと一緒に、島内の全蔵元七社を訪問する計画で出かけた。
壱岐の麦焼酎は平成七年にWTOから麦焼酎の原産地として地理的表示が保護されることとなった。つまり壱岐以外で同様の製法で造っても壱岐焼酎を名乗ることができないということである。このことの価値は、現状ではあまりピンとこないかもしれない。しかし、酒類で先に認定されているものが、スコッチ・シャンパーニュ・コニャック・シャブリなどであり、その結果、日本でもかつては氾濫していたそれらの名称(特にシャンパンに顕著)が本場で造ったもの以外は使えなくなったということを考えると、商品の価値が流布された時に効果を発揮するものだということがおわかりいただけるであろう。
壱岐といえば殆どの人が思い浮かべるのは、元寇か邪馬台国伝説の一支國ではないか。訪れた第一印象は島でありながら平地が多く、平和でのどかな所といったところであろうか。焼酎と共にウニや魚などの海産物や近年評価の高い壱岐牛の産地としても知られており、意外なことには温泉も湧いていた。
壱岐島は、勝本・芦辺・郷ノ浦・石田の四町からなる、人口三万人ほどの過疎の島である。福岡市の沖合60キロほどの玄海灘に浮かんでいて、博多港からジェットホイルという高速船で一時間と近いこともあり、行政的には長崎県に属しながら、経済的には博多商圏の影響を強く受けていると思われる。明治以前の国制度の時には、対馬と並んで九州本土からは独立して一国に数えられる島であった(他には、淡路・佐渡もあるが、壱岐は四島の中で最小である)。しかし江戸時代に、肥前平戸藩(現長崎県)の支配地となり、その関係で明治維新後も長崎県に編入されている。
島の最高峰は岳の辻(標高213m)で平野が多く、水も豊富なため広大な田園風景の広がる様子は、ここが小さな島だということを忘れさせる。
九州全域に広がる焼酎造りだが、地域毎に主原料は異なる。球磨盆地は、相良藩の隠し田から採れた米による米焼酎の産地となっているし、鹿児島は豊富に取れる唐いも(さつまいも)から、奄美諸島では黒糖からといったように、その土地で潤沢に採れるものが使われている。
壱岐焼酎は、麦焼酎の名の通り麦が主原料となっているが、実際には麹造りには全量米を使うので、原料の比率で米対麦がちょうど一対二となっている(表示上は麦・米麹となる)。作り方を簡単に説明すると、初めに米を蒸して麹を作る。これに同量の水を加えて約一週間おいて酒母(もと)を作る。次にもとの二倍の蒸した麦と水を加えて約二週間発酵させてもろみを仕込む。その後、いよいよ蒸留となるわけである。蒸留した流出液は、順番に、初垂(ハナタレ)、本垂(ホンタレ)、末垂(スエタレ)と呼ばれ、最初と最後の部分を除いて濾過されたのちに、樽やかめ、タンクなどで大体1〜2年の間熟成されてから出荷される。このように米を多く使っていることが他の産地の麦焼酎と壱岐焼酎の大きな違いとなっている。

壱岐焼酎の歴史
壱岐焼酎について、いつ頃からどのような形で造られ始めたのかをはっきりと記す文献資料はまだ発見されていない。言い伝えでは、戦国末期には焼酎が造られていたようなので、およそ400年前ということになる。日本の焼酎について書かれた一番古い記録として残っているのは、鹿児島県大口市郡山八幡神社の棟木札の落書で、これが14世紀後半であるから、殆ど同じ頃に九州の北のはずれの壱岐でも焼酎が造られていたということになる。
壱岐は地理的にも朝鮮半島に近く、ここの蒸留器や技術は大陸から半島を通り伝わったものと言われている。その後、江戸時代には、主に傷の治療用に各家では焼酎を常備していたようである。当時の焼酎造りは、現在のような専業者がいるという形ではなく、近所に住む「気の合った人たち」が集まり、その都度必要な資金や原料を出し合って醸造していた。
したがって、歴史的には古いものの、江戸時代には蔵元と呼べるような本格的な酒蔵はなかったと思われる。これは、九州の他の地区でも似たような状況であり、焼酎の蔵元というものが生まれるのは、明治に入り酒税法が施行され密造酒が禁止されてからのところが殆どのようだ。酒税法が施行された明治32年に前記のようなグループは解散し、その中から代表者が選ばれて、酒類製造免許を取得して今日に至っている。当時の記録によると、焼酎専業で38場、清酒兼業で17場に免許がおりている。その後、戦中戦後の企業統廃合などを経て、現在では七つの蔵元がそれぞれの個性と技術を生かした酒造りをしている。
壱岐では、昔からの常圧蒸留法とさっぱりとした酒質を産み出せることで最近人気が出て主流になっている減圧蒸留法の両方が採用されているが、より個性的な味わいが出せるということもあり、常圧蒸留法を採用している商品が多い。また、一部では、伝統的なかめ仕込みも行われている。蒸留後も壱岐の焼酎は新酒で飲むよりも熟成させてから飲まれるものが多く、昔からのかめ貯蔵をはじめ、タンク・樽などさまざまな貯蔵法を取り入れて、よりまろやかでかつ個性的な製品を生み出すべく努力をしているようだ。特に最近人気の出ている長期貯蔵タイプの焼酎は、島内よりも島外への出荷が多く、地元人口の減少という難しい問題を抱える各蔵元にとって、付加価値をつけて新しい市場を開拓する商品としても力を入れているようだ。壱岐焼酎の現在の製造量は、島全体で約一万石(1800KL)前後で、ここ数年は増加する傾向にあるという。焼酎の製造時期は、10月〜4月の約7カ月の間であり、訪れた時はまさに今年の仕込みを始めようとする時期であった。
今回は島の酒造家をすべて訪問する予定であったが、「雪州」蔵元の重家酒造だけは予定が合わず見学できなかったのは心残りである。残りの六軒について以下順番に紹介していく。

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