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吟醸酒は熊本で羽ばたいた
…熊本県酒造研究所
熊本の酒は熊本酵母を抜きには語れない。吟醸酒づくりに向く特性をもったこの酵母は、熊本県酒造研究所で生まれ、日本醸造協会から「協会九号」として全国の酒蔵に頒布されている。この研究所は明治の終わり頃、赤酒から清酒への転換をめざして、当時の熊本税務監督局鑑定部長の野白金一氏を迎えて、瑞鷹蔵の一部を借りて創業した。
後に「酒の神様」といわれた野白氏の優れた酒造理論と斬新な発想から生まれる新技術は、熱心な指導により熊本のメーカーの酒造レベルを飛躍的に向上させた。指導を受けた蔵の酒が毎年のように全国新酒鑑評会で上位入賞を果たし、大正七年には瑞鷹が全国トップとなったのである。同年に清酒メーカー等の出資で株式会社として設立、大正一一年から現在地で酒造りを始めた。
光岡氏と熊本城のそばにある熊本県酒造研究所を訪ねる。研究所ではあるが香露という銘柄の酒を製造販売し、その収益で運営される株式会社だ。正門に貼られた「酒粕あります」というポスターが微笑ましく、研究に専念する研究所とは違うことをうかがわせる。時期は一二月初旬、温暖な熊本でも酒づくりがスタートしている。多忙な時期にも関わらず、専務を務める萱島昭二氏が迎えてくれた。萱島氏は野白金一氏の薫陶をうけ、野白氏亡き後はその精神をひきつぎ熊本を酒の牽引してきた技術者である。
この蔵は方針として手づくりの工程を意図的に残している。冷たい水で米を手洗いし、蒸しあげた米を掘り起こし、麹室に泊り込んで麹を育て、醪の状態をみながらていねいに温度をコントロールし、酒袋を手で槽に積んで醪を搾る。手づくりすることで酒づくりを身体で覚えることができるからだという。熊本酵母を分離し、醪の醗酵管理をモデル化するなど、科学的な思考と実用化で大きな実績をあげてきた同社だけに、手づくり重視の姿勢には意外な感じを受けた。
最後に案内されたのは酵母の培養をおこなう実験室。熊本酵母は今もここで培養されたものが県内の蔵元に販売されている。醸造協会からではなく、本家本元のここから買いたいと、他県の蔵元からも注文が入る。立派な実験室を想像していたが、公立中学校の理科室を小さくしたような感じで、たいへん質素であった。
「当時はお金もなかったから冷蔵庫はみな中古です(笑)。酵母を純粋に培養する試験管に封をするのも昔ながらの綿栓方式。今でもそれで十分」と萱島専務。
事務所に戻ると光岡氏が「きれいな蔵ですね」とひと言。建物は古く、最新の設備も導入されていないが、工場のなかが整然としているのである。道具は整理整頓され、傷んだところはきちんと手当てされ、どこも清掃が行き届いている。そして現場ではたらく人がみな気持ちよい挨拶をしてくれる。良質な酒づくりの基本は、雑菌を寄せ付けない衛生管理であり、それは身近な整理整頓と規律から始まるのだ。
萱島専務に水について聞く。彼もサントリーの松元工場長と同じく、水は酒づくり全体のなかの一つの大事な要素だと言う。熊本流といわれる吟醸酒づくりの手法は、あくまでも温暖な熊本の気候、阿蘇に磨かれた良質な地下水、熊本酵母など、与えられた条件のなかで確立されたもの。いずれかが変われば手法も違ったものになる。だから他所が熊本流を真似る時は、そこに合うように改良していくことが前提なんだと。
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風土に合った酒造法の開発
…瑞鷹酒造

大正七年に全国新酒鑑評会でトップを射とめた瑞鷹。同社は熊本酒造研究所の開設を牽引し、同時に戦争で一度は途絶えた赤酒を復活し現在もつくり続けているメーカーである。熊本酒の旅のおわり、熊本市の南の端に位置する川尻に同社を訪ねた。
江戸期、川尻は緑川(現加勢川)の水運を利用して運ばれてきた物資の陸揚げ地として商工業が発達、たいへんな賑わいであった。瑞鷹の前身、大嶋屋はここで小さな廻船問屋を営んでいたが、業容を拡大したのは安政四年(一八五七年)に養子の吉村太八氏が家督を継いでからのことだ。太八氏が酒造業への参入を決断し、慶応三年(一八六七年)に濁酒を造り始めた。赤酒や焼酎なども造りながら、良質の清酒を安定的に製造することに熱心に取り組み、明治二〇年には丹波杜氏を呼び寄せて丹波流の技術導入を図っている。
吉村圭四郎専務は言う。
「赤酒から清酒への転換には相当な苦労があったようです。明治一八年に県の収税課が兵庫県から入手した『清酒醸造方法』を配って醸造法の改良を促していますが、それで酒がうまくできるほど簡単ではありません。丹波杜氏を招聘してやらせても、温暖な熊本でその流儀が十分には通じない。弊社の記録を見ると何度も酒を腐造しています。結局、科学的な理論にのっとって、熊本に合った技術が開発されるまでうまくいかなかったんです」
瑞鷹は本社屋の向かいに酒造資料館をもっている。そこには同社に伝わる文書、酒造関係のさまざまな文書資料、商売で利用された看板やポスター、あるいは景品の盃や猪口などが整理されて収蔵されている。明治一四年前後に酒造家による酒減 額の嘆願が一大ムーブメントとなったが、その時の熊本の酒造家たちによる嘆願書の草稿(実際に提出されたか不明)など興味深い資料も残っている。
こうした歴史資料を目の当たりにした光岡氏は「瑞鷹さん、この資料をきちんと整理して御社と熊本の酒づくりの足跡を後世に伝えるべきですよ。これはとても大事な仕事です。ぜひ、実現させてください」と提案。近い将来、これが現実のものとなることを祈念して、この旅を終わることにしよう。
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メモ
サントリー九州熊本工場
上益城郡嘉島町北甘木八幡水478
電話096(237)3860
千代の園酒造
山鹿市大字山鹿1782
電話0968(43)2161
熊本県酒造研究所
熊本市島崎1-7-20
電話096(352)4921
瑞鷹
熊本市川尻4-6-67
電話096(357)9671

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