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初孫 山形
平成6年に竣工した新鋭ブルワリー
地域の酒から県の酒へ
東北地方を旅行すると、江戸時代の藩境というものを意識させられることが多い。秋田や宮城はほとんど県内一円が同じ藩であったので比較的県民としてのまとまりが強いが、青森、岩手、福島、そして山形では、同じ県内でも昔の藩を中心とした地域意識の方がはるかに強い。江戸時代の300年で培われた意識、生活習慣なども大きいのであろうが、戊辰戦争のときの帰趨も大きく影響しているようである。
山形の場合は、米沢を中心とした置賜、山形市を中心とする村山、酒田・鶴岡を中心とする庄内、そして県北東部の最上の四地区に別れる。途中は山脈や川によって区切られているので、生活圏としても比較的独立性が保たれて今でも根づいているのであろう。そして、戊辰戦争の途中の過程(当初はほとんどが奥羽越列藩同盟に加盟して佐幕側であったが、徐々に官軍側に切り崩されていく)で隣藩同士が戦っているので、今でも県内全域をカバーするというメジャーなローカル商品はそう多くない。
そんな中で東北銘醸の「初孫」は、県内第一位、製造数量12000石のトップブランドとして、比較的広い地域で愛飲されている商品なのである。その大きな理由のひとつが、酒田という町の特性にある。商人・町人が中心の町であり元々商流の中心にあった。そのことを利用して県内で流すCMでも酒田産というイメージよりも、山形県内各地の名所と組み合わせることで、県民の酒という意識を作っていった等々。そして名前に庄内地方のローカル色がないこともよかったのだろう。
しかし、このローカル色のない名前というのは、一歩県外、特に首都圏や関西圏などの市場に出たときには没個性となる側面もあるようだ。

新鋭工場への移転
同社が現在の本社工場である初孫ブルワリーを竣工したのは、平成6年のことである。かつての本社蔵は酒田市街地内にあり、手狭な蔵、道も狭いなど諸々の理由で、現在の松林に囲まれた十里塚地区に移転した。併せて、蔵探訪館と名付けられた資料館も設置して、一般の方も気軽に工場見学ができるようにしている。将来的には、ここにレストランを併設したいという構想も持っているようだ。
バブル景気もはじけ、日本全体が不景気に向かう時期、しかも清酒の需要は長期減少傾向にあった中で、どうしてこのような決断がなされたのかと聞いてみた。
「実はこの移転構想は、既に20年前から何度も検討されたものなのです」(後藤誠取締役営業部長)
ところが、清酒産業の行く末の不透明さや諸々の事情によりなかなか実行に移されなかっただけのことである。十里塚への移転を促した大きな要因のひとつは、21世紀にむけて理想的な酒造りが行える作業環境を確保しておきたいという考えからと推察される。創業以来の生もと造りの味にこだわる同社としては、スペースの問題は作業効率を高める上からも欠かせないからだ。またこの地域は、もともと庄内の杜氏が居住していた地域という縁もある。
生もと造りというと福島県の「大七」、灘の「白鷹」、「菊正宗」などが有名である。「初孫」は生もとということではさほど有名ではないが、実はほとんどの酒を生もとで仕込んでいる。この生もと造りの意味や価値はどれほどの人々に理解されているのであろうか。純米や吟醸はすべて、原材料の種類であったり精米率など数値に置き換えてわかりやすい言葉での理解が進んでいるが、生もとは簡単に説明しにくい。案外その意味をご存じの方は少ないのではないだろうか。

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