時代や文化とリンクしたお酒に関する旬の情報サイト
酒文化研究所ホームページ
会社概要酒文化の会メールマガジンContact UsTOP
イベント情報酒と文化コラム酒文研おすすめのお店酒文化論稿集酒飲みのミカタ特ダネ
海外の酒めぐり日本各地の酒文化見学できる工場・ミュージアム酒のデータボックスアジア酒街道を行くリンク集

<<酒めぐりTOPへ

過去記事一覧

焼酎を訪ねて
  九州山間地を行く


居酒屋にススメ

粕取焼酎を現代に生かす

北海道の大地で育った酒

美ら島酒紀行 メーカー編

美ら島酒紀行 飲食店編

観光資源としての
  酒文化 下


観光資源としての
  酒文化 上


南国土佐に「酒の国あり」

大信州(長野)
  「長野の酒」からはずれを
  なくす


初孫(山形)
  機械と手作りを
  融合させた新工場


阿蘇の名水生まれの酒

若鶴(富山)
  濃醇な無濾過生原酒で
  おいしさを追求


奥越前(福井)
  名水と酒米の里の酒


自分のワインを造りたい
  −各地で生まれる
  ドメーヌ型ワイナリー


美の川(新潟)
  新潟酒の個性派


山田錦のテロワール1

山田錦のテロワール2

機山ワイン(山梨)
  風土を生かした
  ワイン造りへの挑戦
日本と海外の酒めぐり
機山洋酒 山梨
風土を生かしたワイン造りへの挑戦
家業を継ぐ決断をするまで
写真 土屋社長は、大学で発酵学科に学んだ後に、協和発酵工業に就職して土浦工場で焼酎や清酒などの製造・研究に従事していた。その後会社から当時東京都北区滝野川にあった国税庁醸造試験所(現醸造研究所)に派遣されて熊谷智恵子先生(現大関常務取締役)の下で三年間吟醸造りを勉強して、会社の勤務に戻った。そして1994年8月に期するところあって同社を退社、家業のワイン造りを継いで今日に至る。このように紹介すると家業を継ぐために計画的に歩んできたかのように見えるが、実態はそうでもないようである。
「就職の面接で『君は何年間くらい社会勉強するつもりなの?(つまり何年間か勤務した後に実家へ帰るのかという意味)』と聞かれ、そのときは家の仕事を継ぐなんて全然考えていなかったので失礼なことを聞くなあと思ったくらいでした」と当時の心境を語る。
転機になったのは、醸造試験所へ派遣されていた3年間に全国の造り酒屋の後継者達と出会ったことだと言う。しかもそのときに同じく菊正宗から派遣されて来ていた由香里夫人と知り合い、研修終了後に結婚する。この頃から、退社して実家を継ぐという気持ちがだんだんと芽生えてきたようだ。
「実はちょうどその頃に、そろそろ父親がワイン造りをするのが肉体的にもしんどくなりはじめてきていたのです。従業員がいるわけではなく、経営者といっても実際に自分でワインを造って、自分で販売するわけです。しかも仕込み以外の時期には自社畑でぶどう作りをしなければいけません。
このときに私が帰ると言い出さなければ、父はたぶん会社をたたんで廃業ということも視野に入れていたのだと思います。まだワインブームも来る前でしたし。私自身としては研究所で学んだことで自分なりの酒造りをやってみたいという気持ちが強まっていたので、家業を継ぐという決断ができたのだと思います」
いざ継ごうということになると、夫人も酒造りの技術者であったということは大変心強いことである。そこでまずは二人で1年くらいワイン造りの勉強のために留学して、それから塩山に戻ろうという算段をたてたらしい。ところが、いざ両親に相談してみると後は任せると早速に引退を宣言されて、否応なく94年の仕込みから土屋夫妻によるワイン造りが始まったということである。
ということは、ワイン造りに関わる技術やノウハウについて土屋氏はどこで修得したのであろうか。
「ワインも造っている会社にいましたが、私は専ら和酒の方ばかりでしたので、ワイン造りについては全く知りませんでした。醸造試験所でもワインについては全く取り組んでいません。逆に熊谷流の吟醸造りを知っているワイン屋は、全国にも私だけでしょうけれどね。
父親がさっさと引退を決め込んだので初年度からいきなり全てを任されて、専ら文献で調べたり、つてを頼って人に聞いたりしたくらいで、まず自己流と言えます。だから最初は随分と失敗もしました。
もちろん父から教わった部分も多々ありますが、父の世代は科学的な発酵学などとは無縁な世界でした。だから結果的にはこれでよかったと思っています。
最初の2〜3年はそれは本当に大変でした。基本的には造り方を変えることを目指しながら、一方では父の代からのお客様にも満足していただくということを求められるからです。試行錯誤しながら、自分なりの理想を追求して、果汁管理・貯酒技術などに現代的な科学の手法を導入して行きました」
このようにして悪戦苦闘しながら2シーズンの仕込みを終えて、おおよそ自分なりの型が見えてきたのが96年から97年頃だそうだ。課題がはっきりとしてきたところで、もう一段の飛躍のために夫人がオーストラリアのアデレード大学の醸造学科に留学する。そのコースはポストグラデュエートコースといって大学卒業後に実務についた人がさらに実践を深めるためのコースで、一年間でぶどう畑の管理からワインの醸造・貯酒管理までひと通り学ぶカリキュラムになっている。ここで学んだことを生かしながら、二人の理想とするワイン造りへのあくなき探求は今に続いているわけである。では彼らの求めるワインとはどのようなものなのであろうか。

<<前頁へ      次頁へ>>